「諦める」という言葉を聞くと、どう感じますか?
何かを断念したり、仕方がないと受け入れることですね。

「あきらかにみる」が「あきらめる」に変化していったようです。

「あきらかにみる」とはものごとの道理をあきらかにみるんだそうです。

 

諦観は諦めないことを教えてくれる

悪い状態になったとき、大抵は他人のせい、環境のせいにして諦めてしまいますが 自分のどこに原因があったのかをあきらかにみるのが仏教の「諦観」です。

原因を明らかに見ることが大切なんですね。

失敗したことを逃げずに受け止めて、言い訳をせず受け入れる。
それに対して次の策を立て、実行をしていく。

 

私は友人に「仕方がないは別の仕方があることだよ」とよく言います。
諦観の考えを知ってからよく口にするようになりました。

 

今までやってきたことはもしかしたら間違った方向だったかもしれない、とか、自分のここが原因なのかもしれないと自分を見つめ直し、失敗から学んだことをいかして新たな別の道を探し出す。 執着を捨てて、別のアプローチの仕方を考えればいいのです。

これはとても前向きな言葉。

 

何か諦めそうになっている人は自分が本当に望んでいること(望んでいないものに走っていることも多い)、アプローチの仕方が間違っていないか、原因を考えてみてください。

諦観は諦めることと共に、諦めないことを教えてくれています。