2020年11月8日(日)『古事記と言の葉講座@Zoomオンラインセミナー』詳細はこちら

死に方を気にするくらいなら、生き方を考えろ

死に「良い死」と「悪い死」があるのだろうか。
「綺麗な死」と「汚い死」はあるのだろうか。
すべての死はただただ「死」じゃないのか。
だいたい何故「死」を怖がるのだろうか。

生まれたのだからいつかは死ぬものだ。
自然の摂理なのに。

孤独死や変死などあまりいい印象がないようで嫌がる人間がいる。
あんなふうに死にたくないと。

わたしの父は「孤独死」で「変死」だったが、では、それが悪い死に方なのだろうか。それが汚い死なのだろうか。

今でもお墓参りをしているが死に方が綺麗じゃないとダメなのだろうか。死に方が綺麗でもお墓参りをしてもらえない人だっているだろうに。それでも死に方がよければ良いということなのだろうか。

なぜ「死に方」にこだわるのだろうか。

死はどんな死でも「死」だと思う。

死に方を気にするくらいなら、生き方を考えろ

私は父の「変死」で「孤独死」によって色々なことを学びました。
父の第一発見者はたまたま近所に住んでいた定年退職したばかりの元刑事さんでした。その人にも色々なことを教わりました。

意外と「孤独死」は多いこと、「変死」は特別ではないこと、色々な遺体を見てきたこと、悲惨な状況や体験したことを話してくれました。そして、私に言いました。

「離れて暮らす家族は孤独死させてしまったと落ち込む人もいるけどね、死ぬときは死ぬんです。一緒に暮らしていても隣で死ぬこともある。一緒に住んでいるから大丈夫、安心、なんてことはないんですよ。そういうもんだから。」

そして現実は、、、そのとおりなのだ。

「夜寝るまでは元気だったのに、朝起きたら死んでいた。隣で寝ていたのに気づかなかった」と気づかなかったことに自分を責める知人、朝までは元気だったけど夜に死んでしまった知人、突然死をたくさん見聞きしてきた。

死ぬときは死ぬ

なぜこんな当たり前のことがわからないのだろうか。
心からわかっていれば、死に方なんて気にしないだろうに。

それに、気づいてもらえるかどうかは距離は関係ない。
心の距離が問題なんです。

うちの父が発見されたのも、父が近所の人と関わりを大切にしていたから。

何に異変を感じたか。
「いつもカーテンを開けるのにカーテンを開けなかったから」

たったこれだけのことで、周りの人は気づいてくれたのです。

どうやって生きてきたかだ。

気づいてもらえる生き方をしているかだ。
誰かに心配してもらえる生き方をしているかだ。

あんなふうに死にたくないというのであれば、ちゃんと生きていけばいいだけなのだと思う。わたしは、死に方を気にするくらいなら生き方を考えたい。

https://anzaihikaru.com/2018/03/86/

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

目次
閉じる