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中途半端な私だからこそ言えるたった一つの子育て論

昨年から私が一番感じていることは、自分がとても中途半端な位置にいる存在であるということです。

中途半端と聞くと良いイメージに受け取られないかもしれないが、私がここで思っている「中途半端」というイメージは決して悪いものではありません。

子育て論を聞く機会が増えて、意見の相違を目にすると、その時には何とも言い難い中途半端な境地に立たされる感覚があります。今までは自分の立場(位置)なんて気づけなかったが、初めて自分の位置を教えてもらった気がする。

私は出産経験もあるし、子育て経験もある。
ただ、今は子育てをしていない。

代わりにあるものは「子供を失う」という経験でした。

そんな立場ですから、しっかりと母親の気持ちもわかりますし、育児の大変さもわかっています。でも、育児をする機会を失い、やりきることが出来なかった自分は育児を語ることも難しい中途半端な位置にいると思っている。

今は子供もおらず、独身です。
でも一度、出産して子育てをしてしまうと純粋な独身の気持ちには戻れない。

「どちらも経験しているからそれぞれの言い分はとても正しいと思う。でもどちらも経験していないから、正しいとは言えない」

ちょっと難しい言い方になってしまうかもしれないけど、そう感じてる。でも「どちらもわかる」と思えるのは、どちらも一応ちゃんと経験しているからなのです。

「どちらもわからない」から〈どっちつかず〉ではなく、「どちらもわかる」ので〈どっちつかず〉なのだ。

どちらも正しいと思い、どちらも正しくないと思う感覚は、ほんの少しだけ寂しくなる時がある。どちらも知っているのに中途半端な位置にいることを思い知らされて自分なりの答えが出せなくなる。

でも自分のこれまでの経験によって生まれた、この微妙な感覚を持てるということは見方を変えれば、とても恵まれているのではないかと自分では思っている。

中途半端にしかわからない気持ちというのがあるはずだから。
決して悪いことではないと思うし、自分のこれまでの経験やこの感覚をいかした意見が言えるようにできたらいいなと思う。

確信して断言できることは、育児することが当たり前、子供がいることが当たり前になり、大変な毎日で育児に対して不平不満ばかりになってしまう時がある。嫌になってしまうこともあるかもしれない。

でも、お子さんが隣にいることは当たり前ではない。いつ失うか、いなくなるかわからない。それを思い出してほしい。

それは私の立場だから言えることでもある。精一杯の愛情で育児してほしいと願っています。

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