フェイスブックの過去の記事でみつけた記事です。

 

この記事を読んで、当時似たような題目で考えていたことについて投稿した文章が反響があったのでリライトしようと思います。

 

器に合わせるか、大きい器を用意するか

「自分の器は小さい」とか「そんなできている人間ではない」という言葉を見たり聞いたりします。
これって自分の人間性を自分で量っていますよね。

わたしが思う「器」に関しての考え方の一つに「自分の器を思っている以上にでっかく設定してしまえばいい」というのがあります。

自分に自信なんてなくても「自分はデカイ器の持ち主です」と堂々と宣言してしまう。
でも、決して過信はしてはいけない。

自分がなりたいなと思う姿を想像し、今の自分よりちょっと上の器を設定する。自分の設定したデッカイ器をいっぱいにするには人間性という液体を大量に注ぎ込まなければいけません。

それに見合うように努力しなければならない状態にしてしまうことで器と馴染むために自分を成長させていくというやり方で、今ある液体(人間性)に器を合わせるか、さらに注ぎ込んでいくための容量も含めて器を設定するか、の違いです。

 

本田圭佑選手も同じような考え方のようで著書でも書いているようです。
実はわたしもこの考え方の持ち主なんですね。

 

この考え方ができるかどうかで、成長具合も違ってくるのではないかと個人的に思っています。

自分の器を今ある液体(人間性)に合わせて設定してしまえば、無意識的に自分で限界点を作り上げてしまい、成長をさまたげてしまうのではないのかな、と。

 

大きな器に液体を注ぎ込むには大量の液体が必要になります。
その液体(人間性)を手に入れるために色々な経験をしなければならず、結果的に両者に開きが出るのではないかなと思います。

どちらが善い悪いではなく、そういう考え方もあるよというお話です。
今回は「器」で話しましたが、これは何事でも共通して使える考え方ではないでしょうか。

どちらにしろ突然器のデカイ人にはなれないので「ちょっと上を目指す」を繰り返していくことが大切なのかなと思いました。

階段を登るようにね(^^)