
わたしは穏やかで滅多にイライラしません。怒ることも1年に1、2回あるかないかで基本のほほんとしています。
2年前のフェイスブックの投稿でわたしとしては珍しくものすごい怒りをぶちまけた投稿がされていました。その文章はまるで般若か大魔神のお面をかぶっているかの如く、怒り狂っているのが文章から伝わってきました(;^_^A
、、、といっても人目には晒してはいません。
公開に制限をかけていました。
あー、こんなこともあったのか。
すっかり忘れていました。喉元過ぎればなんとやら(笑)
こうやって、どんなに怒り狂っても結局忘れてしまうんだよなぁ〜と実感すると、その時に怒り狂う必要はないなと思ってしまいます。エネルギーの無駄というか、怒って不機嫌になっている時間がもったいないというか。だって、いつかは忘れてしまうんですからね。
こういうふうに「いつか忘れる」と理解していたり、一度でも怒り狂った時の状況の対処法を見つけ出すと余裕が生まれます。キャパが広がってさらに怒らなくなりました。
忘れてしまう程度の怒りだったのだと思えば、なんてことはないことだったのかも…と思えます。
過去は本当に正しい過去だろうか?
みなさんはどうですか?
怒り狂っていたことも忘れてしまうこともあるでしょう。
記録に残しておけば「そんなこともあったなぁ」と思い出すこともあるかもしれませんが、何も残していなかった場合は怒った事柄すら忘れてしまい、永久に思い出すこともないかもしれません。
先日のアドラーの講演会と通っている研修でも「人間は記憶をかきかえる」お話を聞きました。
ずっと忘れられず怒っていたり恨んでいたりすることも、本当は自分が怒りを持ち続けたい目的があるから相手に○○されたと記憶を書き換えてしまうことがあるのだそうです。
例えば、「親から暴力を受けたから嫌い」と思っていた人で「嫌いでいたい(目的)」が先で「暴力を受けた」ことにしてしまうことがあるのだそう。実際によく考えると暴力といえるほどのものではなかったということもあるようです。
最近、2年間監禁誘拐されていた少女が助かりました。
犯人は少女に「私は捨てられた」と紙に書かせたり、口頭で「おまえは売られた」「両親に捨てられた」と言い続けていたとのことですが、実際にこのように言われ続けていると本当にそうなのだと思い込み、記憶が書き換えられる可能性が高いそうです。
テロリスト養成などの洗脳も記憶を書き換えてしまうと聞いたことがあります。人間の記憶というのはすぐに忘れてしまったり、書き換えてしまったりして、いい加減なものかもしれません。
そう考えると過去が本当に正しい過去だったのかは自分でさえも判断できないものなのかもしれません。
だったら、過去にあったことで深刻に悩んでもしょうがない。
「未来に向けてどうするか」
そちらに思考を働かせて、エネルギーを向けたいですね(^^)