
友人とランチをしていた時の話。
「会社の人間でどうしても話が通じない人間がいる」という愚痴を聞いていました。
調和もできるならしたほうがいいし、みんなが仲良くお互いを認め合うことができればいいのですが、なかなか難しいことだと思います。世の中にはどうしても話が通じない人間はいるものです。
ちゃんとお互いに向き合って対話し続けることができるのなら分かり合える可能性もありますが、家族や親友など、そこまで関わり合いのない人間に対して入り込もうとせず、向き合って話すということはあまり出来ないのかもしれません。
きっと、どちらかが諦めるか去ってしまうのだろうなと思います。
その時に普段はスピリチュアルな話を一切しない友人ですがこう言いました。
「やっぱりさ、人間を何回生きてきたかってあるよね」と。
なんか、わかるな〜と思いました。
わたしはこういう話は嫌いじゃありません。
むしろ魂とかソウルメイトとか信じているほうです。
魂のレベルが同じ人間って初めて会った時からなんとなくわかるし、一緒にいると安心できるし、お互いに成長できるなぁといつも思うので友人の言いたいことがわかりました。
わたしも色んな人に「人間を何回もやってそう」と言われます。(実際はどうだかは知らんけど)
なんていうか、素直じゃない人とか、謝罪できない不器用な人とかを見ていると「生き方がわからないのかな?」と思う時があります。
「(人間の)回数をこなしていないのでわからないのかな?」という感じで、年齢や性格はあまり関係なく魂の熟練度をじーっと確認しようとしてしまう時があります。
いや、なんにも見えませんけどね!わたしにはそういう能力はないので(笑)
そういう感覚ってことです。
身体と中身が合っていないときは、そのうち回数こなしていくだろうから、わたしが出る幕はないので放置する感じになるのですが(笑)
きっと、話が通じない人も対話の回数をこなしておらず、どう対話していいのかわからないのかもしれないな、と思います。
そう思ったら今怒り狂ってもあまり意味はないし、「早くこなしてこーい」くらいの気持ちで済むのかもしれません。
しかし、友人も同じように思ったってことなのかな?
普段はそんな話を一切しないのにとっても不思議ですが、わたしはその友人とは魂のレベルが一緒だと思っています。
そして週末にも初めてお会いした別の人物2名と別の時間にたまたま同じような話になったのです。
人間何回目か、魂のレベルのお話。
やっぱり通じ合える、わかりあえるということは、何かしらの不思議な力があるのかもしれませんね。