改めて「察する能力」というのは大事だなぁ考えていました。

空気を読まずに行動することも時には大事なことなんですけど、空気を読めることも大事です。
想像する力があるってことですもの。

空気が読めない人は場の雰囲気を悪くしがちだけれども(本人は気づいていない)、空気が読める人は争いごとを避けてくれる平和的な人だなと思います。

 

最近「共感力」について考えていて、共感力が高い人を見ていると察する能力が高い人が多いなぁという印象を抱きました。

相手がどのように生きてきたか、どういう価値観で生きているかなんて本人以外わからないし、一人一人自分のフィルターで物事を見て価値を決めているのだから、価値観というのは人口と同じ分だけ存在するわけです。わたしたちはその自分の価値観の世界で生きています。

価値観が違うもの同士が分かり合うには、「理解してほしい」と「理解してあげたい」がセットになって、初めて理解できるのだと思います。

 

基本的には「相手のことなんて聞かなきゃわからないよなぁ」とは思っているけど、それだけで済ませるのもどうかと思うのです。他者に対してそう訴えるだけにならないように、自分でも相手のことを考え想像出来るかどうかも大切なことだと個人的には思ってます。

 

そのためには共感力というのは必要で、相手にどれだけなりきって考えられるかどうか、その能力は訓練していかないと伸びてはいかないものです。
共感力が低い人は相手を心から理解しようという気持ちが薄い気がします。

 

「他人のことなんか、わかるわけない(だから相手が話すのが当たり前、だから相手から伝えるのが当たり前)」 と思っていないだろうか。

自らわかってあげようと歩み寄ることも必要だと思います。

 

なりきることは思いやりにもつながる

話は少々変わりますが、アドラー心理学には、アズ・イフ(as if、まるで・・・のようにふるまう)というのがあります。

先日アドラー心理学のカウンセリングの話を聞いていて、ある意味カウンセラーは女優になれるかどうかだなって思ったんです。

 

「まるで~のようにふるまう」

悪く捉えればペテンですが、良く捉えれば共感につながります。
カウンセリングではそれが大事なんですが、この考え方って普段の対人関係でも必要だと思いました。

 

先日アズ・イフについて調べ物をしていて、このような興味深いページをみつけました。

 

こちらのページで「身体感覚で「論語」を読み直す」(安田登著/春秋社)の紹介をされていた内容が「なるほどな」と思い、色々繋がった感覚がありました。

as if(まるで~のように)は中国語で「如」です。
「如」に心をつけると「恕」という漢字になります。
「恕」とは思いやりのことです。

なりきることで目の前にいる人との関係性や物事の結果も変わってくるんだろうな~と思いました。

そんなことを色々考えながら、共感力を磨いていきたいなぁと思う今日このごろです。