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生きづらさを感じるのは、自己受容できていないから

先日、こんなことを言われました。

「みんなが光さんのような人だったら、世の中は平和になるのに」

とても有難い言葉ですよね。とても嬉しかったです(^^)
わたしはこの言葉を「劣等感を抱えない人が増えたら」という意味で解釈をしました。

https://anzaihikaru.com/2017/05/285/

その後にこんな質問を受けました。

「生きづらく感じたことなかったですか?」

劣等感を抱えなかったことによるマイノリティに属することで生きづらく感じたことはないのか?と解釈したのですが「生きづらいと感じたことはないですよ」と答えました。

よく変わってるとか変人扱いされますが、イイ意味でみんな言ってくれるので辛いと思うことはないです(^^)

生きづらさを感じるのは、自己受容できていないから

それなりに子供の頃から苦労が多かった人生ですが、100%受け入れて生きているもんですから、違和感を感じたことも辛いと思うこともありませんでした。

マイノリティであることと、生きづらさは関係ないんじゃないのかなと個人的には思います。マイノリティである自分と他人を比較するから生きづらいと感じるのだと思う。

「子供の頃から他人と比較していたから辛かった」とか「みんなと違うと違和感を感じていた」という人に最近よく出会います。

わたしはそれがありませんでしたので辛くなかった。
他人と比較をすることがなかったんです。

「○○ちゃんのほうが可愛い(なのに私は○○)」
「○○ちゃんのほうが勉強できる(なのに私は○○)」
「○○ちゃんのほうが人気がある(なのに私は○○)」
「○○ちゃんのほうがお金持ち(なのに私は○○)」
「○○ちゃんのほうが好かれている(なのに私は○○)」

こういった「○○ちゃんのほうが~(なのに私は○○)」と思ったことが一度もありませんでした。ちなみに「違うかどうか」だけではなく「同じであるかどうか」も気にしたことはありません。

子供の頃から他人のことなんて気にしてなかった。自分のやりたいことしか興味を示さなかったし、どこかのグループに所属することもありませんでした。

「仲良くしなければならない」
「友達ができるか不安」
「ハブにされたくない」

そんなことも考えたことなかったです。

同調圧力に屈しない強さが子供の頃からありました。
小学校の頃にそういう事件も1、2件ありましたけども。

遊ぼう!と誘ってくれた時は誰とでも遊び、誘いがなかったときは一人で好きなことをする。孤独でも全然大丈夫な子供でした。

自分の好きなことだけをやってました。やりたくないことをやらないのは当たり前のことですから、好きなことをやろう!とも思ってませんでした。

その時なんとなくやりたい!と思ったものは、自分で見つけてきて親の承諾もなく全部やりました。自分がやりたいからやるのです。

同窓会に行くとね、「○○さんと○○さんって仲悪かったよねぇ」とか「○○さんと○○さんって付き合ってたよね」とか「○○先輩って超カッコよかったよね!」(そしてみんな知っていて同意をする)みたいな当時の噂話やら人間関係のことをよく話してるんです。

でもわたしは全く知らなくて、あまりにも他人に興味なかった自分にビックリすることがあります。

「なんでそんなに皆知ってるの???」って思うんです。

それだけ当時の私は意識が他人に向いていなかったのだな~って気づかされます。(今もかもしれませんが、笑)誰と付き合うとか、誰と誰が仲が良いとか、わたしにとってはどーでもいいことです。

そう考えると他人のことばかり気にしていると「生きづらい」のかもしれません。

自分に目を向け、ありのまま受け入れること。
それが自己受容に繋がっていき、生きづらさがなくなっていくのだと思います。

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