前回は信念の在り方について書きました。

記事を書くきっかけとなったドラマは「絶対正義」というドラマです。
間違った正義感のウザさが実感できる作品だと思います。興味のある方は是非観てください。

 

正義があれば、全て許されるのか――?

 

 

第一話を観たときに「こういう人いるわ。わたしが一番嫌いなタイプだ」と思いました。出会ったら出来るだけ関わらないか、速攻逃げちゃいます。

信念や正義は自分の中で持ち続けるには構わないのですが、他者に押しつけ始めると周りの人を苦しめます。

行き過ぎた正義感をわたしは<ヒステリックな正義>と呼んでいて、そうなった時点でそれはもう正義ではないと思ってます。正しいことは人それぞれ価値観によって変わってきます。

争いごとは善vs悪ではなく、正義vs正義です。

 

アドラー心理学の講座でも正しいかどうかではなく、自分や他者にとって建設的か非建設的かで物事を判断するようにと伝えています。

 

こだわりをなくしていけば、生きやすくなる

前の記事で「生きづらさをなくすにはどうしたらいいか?」「こだわりをなくすこと」と書きました。

信念だったり、自分の正義だったり、~すべきという価値観だったり、それらの別の言い方が<こだわり>ではないでしょうか。

たまに他者と話しているときに自分のこだわりのなさを感じる時があります。「周りの人たちは結構こだわりあるんだなぁ」と思うことが多いのです。

小さいこだわりというのは日常のあちこちに転がっています。数が多くなればなるほど、自分も相手も疲れちゃいますね。

例えば、小さなことだったら

洗濯のたたみ方や洗い物の仕方の違いが気になるとか、一緒に暮らしていく上での夫婦やパートナーとの違いでイライラするとか、まぁ、たまに聞くわけです。

全くないとまでは言いませんが、細かいところまで考えている話を聞くとビックリするわけです。
「え?そんな小さなところこだわってるんだ」って自分との違いにハッとさせられることがあります。

同棲や結婚時代を振り返っても、あまり気にもしてなかったんですね。

 

友人ならわかる人もいると思いますがわたしの価値観が<死ぬこと以外かすり傷>なので死ななきゃいいんじゃないってのがとても強い。それ以外の細かいことなんてどうでもいい的な部分がかなり強いみたいで。

例えば、洗濯物のたたみ方、干し方なんて気になりません。たたんでいようがハンガーで放置されていようが、取り込みっぱなしで床に置きっぱなしだろうが着れるなら問題なし。
放置されていてもたたみたかったら自分でたためばいいだけの話なので、相手に対してイラってしないのです。自分がやりたいからやるだけです。

基本、生活の態度も考え方は一緒。

こだわりがなくなるということは<何でもいい、どちらでもいい>そう思える機会が増えるということですし、他者との価値観の違いを理解していることでもあるように思います。

ゆるくなった分だけ自分の考えや価値観に合わない人と出会ったときのイラつきや怒りや争いが確実に減っていくことになるでしょう。

 

ただし、わたしにだって譲れない価値観みたいなものはあります。
その譲れない部分さえも、こだわりをなくしていこうとは思っていません。

それが全く無くなってしまうと<自分>というものが無くなってしまいますので。

粘土の中の針金をいかに細くしていくか。細く柔らかく、だけど丈夫な芯を持つことで様々な形にデザイニングしていけるようになります。

対人コミュニケーションに支障をきたさない程度にこだわりをよい加減にする、バランスをよくする努力をすることは必要だと思います。

自分が何にこだわりを持っているか、どんな信念を持っているか、正義感の使い方を間違えていないか、今一度振り返ってみませんか?

 

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