「自分は存在するだけでいい」をさらに乗り越えたい

「自分は存在するだけでいい」

それが当たり前のように思えると「今やっている活動もしなくていいのかな。やめてしまおうかな」とよぎってしまうんです。アドラー心理学も、男女の違いも、いったん手放してしまおうか、、、何度考えたことでしょう。

それは講座が上手くいかないとか、飽きたとか、そういうことではないのです。
そういう辞めたいでもないし、手放したいでもない。

なぜなら自分は何をしなくても存在しているだけで価値があり、誰かの役になっていると実感できているからです。

いま、わたしはその状態が続いているのですが、ブッダと梵天様のあるストーリーを思い出しました。その話がわたしを現状維持で支えてくれているというか…
この時のブッダとわたし、今同じ状況かも…と思って自分観察中なんですね。

※簡単なストーリーと詳しい解説が書いてあるページをリンクしておきます。

梵天勧請

ブッダがあとは解脱(涅槃)するだけとなったき、梵天様が現れて「自分が悟りを開いたからといって満足せず、世界中の人々に伝えて欲しい」とブッダを説得します。

ブッダはとても悩み何度も断りました。
なぜなら自らがたどり着いた悟りの境地を人々に教えることは不可能だと考えたのです。

「私の悟ったこの真理は深遠で、とても難解です。私が必死に教えても、到底普通の人々には理解できないでしょう。私が教えを説いても、人々が理解してくれないのなら、私に残るのは疲労と憂鬱だけです。」

梵天はその言葉を聞き泣き伏しました。

「ああ、世界は滅びる。ああ、世界は滅亡する。悟りを開いた者も、その悟りを人々に広めようとはしないからだ。」

「確かに貴方が言われるように、普通の人間には貴方の悟りは理解できないでしょう。しかし、この世には真理を理解できる清浄な心を持って生まれた人がいます。彼等は貴方の教えを聞かなければ、普通の人間として輪廻転生を繰り返します。しかし、貴方が悟りを教えられれば、必ず真理を悟るものとなるでしょう。」

ブッダは梵天の願いも一理あると考え、この世の衆生に自らの得た悟りを伝えることを決心します。
以後布教活動を続けることになります。

ブッダが衆生に説法をし80歳で完全な涅槃に入るまでに残した言葉を弟子がまとめたものが経典として今の仏教に引き継がれています。

http://www1.clovernet.ne.jp/ponnpe/syaka29.html

※詳しいストーリはこちらのページをお読みください

「ブッダとわたし、今同じ状況かも…」なんて大それたことを言うなと思われた方もいらっしゃるかもしれません。別にわたしが悟ったわけでもありません(笑)

ただ、状況が似ているのです。「悟った」部分を「自己肯定感がとても高い状態(自分は存在するだけでいい)」に言い換えてもらえると想像しやすいかと思います。

さらに、魂のこと、スピリチュアルな知識がつくと尚更で、わたしが関わらなくても他の人たちの魂の学びは進んでいく。わたしが何かを教えたり、伝えようとしなくても世の中は廻る。それに特別に何かを教えたり、わざわざ伝えなくても、生き様を見せるだけで周りの人は何かを受け取るんじゃないかって思ってる。

ただ、わたしが何かのツールを通して誰かに関わることでの<縁起>もあり、何かを学んでいく魂もあるでしょう。

わたしが何かを伝えることも<縁起>であり、何も伝えないことも<縁起>であったりします。

ブッダのように、どのような選択をこれからしていこうか、という状態なのです。

自己肯定感の高さによるデメリットだってある

自己肯定感が高いことはとても良いことです。
でも、やはり何事もバランスが大事だなと思います。

自己肯定感が高くても、迷いが絶えません。(苦悩はありませんが)
それに高いが故の迷いや問題が出てきます。

それはその立場にたってみなければわからないかもしれませんが、どんな立場でも「思い通りにならない」は本当だなと。悟ったお釈迦様だからこそ言える言葉だなって思ってしまいました。お釈迦様すごいなと思います。

正直、衆生か仏か両端のどちらかにいたら楽だったろうにって思ってしまう。
菩薩道って大変だなぁってしみじみ思うなぁ。

でも、どんな形でもいいので、それをしていきたいというのはやっぱり変わりません。

今のわたしが乗り越えたい課題は「自己肯定感の高さによるデメリット!?」です。
あと「赦し力」が高いことも関係あるかもしれません。

自己肯定感が低いと他人に何かをしてあげることで喜んでもらえる→それによって自分の存在を認めることだってあるし、それを糧に益々精力的に頑張れたり、ということがあります。

「赦し力」については世の中や世界に対しての反骨精神のようなもの。例えば、不幸せそうな人たちをみると我慢がならないから助けたいとか、そういった何かしらに対して赦せない気持ちみたいなものがあると「伝えていってやる!」と頑張れたりします。

でもわたしは、自己肯定感が高い上に、赦し力もあるので何かに対して反骨精神のような「絶対許せないからこうしていきたい!」という気持ちがないのです。

そうなると困ったことに、「自分は存在するだけでいいや~」だけになってしまうんですね。

本当はこの「自分は存在するだけでいい」ということを伝えていきたいのですが、ブッダと同じように「理解できない人の方が多いだろうなぁ~」と考え、だったら自分のことだけをちゃんとしてればいいや~ってなっちゃっている状態です。

ただ、「自分は存在するだけでいい」を乗り越えた先に、
自分の本来の持っているパワーが発揮されるような気がしています。

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