以前、「優しすぎる自分のままでいいのだろうか」と悩んでいた時期がありました。
人に優しくすることは、いいことだと思っていました。
でも、優しいことで傷つくこともあります。
相手のことを考えすぎて、自分が我慢してしまう。
疲れているのに、相手のために動いてしまう。
嫌なことをされても、
「この人にも事情があるのだろう」
と考えてしまう。
そして気づけば、自分だけが疲れている。
そんなことが何度かありました。
だから、
もう少し優しくない人になったほうがいいのだろうか。
そんなことまで考えたことがあります。
でも、その考えにはずっと違和感がありました。
優しさが悪かったのだろうか
誰かとの関係で傷ついたとき、
「優しすぎるからいけないんだよ」
と言われることがあります。
もっと厳しくならなければ。
もっと人を疑ったほうがいい。
簡単に手を差し伸べないほうがいい。
与えすぎないようにしよう。
そうやって自分を変えたほうがいいのかと考えたこともありました。
でも、あるとき思ったんです。
それって、自分の優しさに「ダメ」と言っていることにならないだろうか。
優しいことそのものが問題だったのでしょうか。
それとも、
優しさと一緒に、
我慢や自己犠牲まで差し出していただけなのでしょうか。
優しいことと、我慢することは違う
今は、この二つを分けて考えています。
人に優しくしてもいい。
相手の事情を想像してもいい。
困っている人がいたら手を差し伸べてもいい。
でも、
自分が苦しくなるところまで差し出さなくてもいい。
嫌なことは嫌だと言っていい。
できないことは断っていい。
疲れていたら休んでいい。
誰かを理解できても、その人から離れていい。
相手を嫌いにならなくても、関係を終えていい。
赦せなくてもいい。
優しさと境界線は、矛盾しません。
むしろ自分にも優しさを向けるなら、
境界線が必要になることもあるのだと思います。
相手を理解できることと、付き合い続けることも違う
わたしは昔から、人の事情を考えるほうでした。
「きっと、この人にも何かあるのだろう」
「この行動にも理由があるのだろう」
そう考えると、相手を完全に嫌いになることがなかなかありません。
今も、その部分はあまり変わっていません。
でも、
理解できることと、付き合い続けることは別です。
相手の事情は理解できる。
それでも、その人と一緒にいると自分の身体が苦しい。
だったら離れてもいい。
「あなたにも事情があるよね」
と思いながら、
「でも、わたしはここから離れるね」
と言ってもいい。
どちらか一つを選ばなくてもいいんですよね。
優しさを減らすのではなく、自分にも向けてみる
人に向けている優しさを減らせば、自分を守れるわけでもありません。
人への優しさを減らすのではなく、その優しさの中に自分も入れればいい。
相手は疲れているかもしれない。
でも、わたしも疲れている。
相手には事情がある。
でも、わたしにも事情がある。
相手が悲しまないようにしたい。
でも、わたしの身体も悲しませたくない。
相手か、自分か。
どちらかを選ばなくてもいい。
優しさの輪の中に、
自分も一緒に入れてあげればいいのだと思います。
小さい頃から、そういう子だったらしい
以前、母と昔の話をしていたとき、
わたしが3歳くらいの頃の話を聞いたことがあります。
当時、仕事のことで悩んでいた母に、
「おかあさん、おしごとないの?」
と声をかけたことがあったそうです。
三姉妹で母が転職することに困っていたのを気づいたのは
わたしだけだったそうです。
わたしにはまったく記憶がありません。
でも母は、
「小さい頃から、人の様子をよく見ていたんだね」
小さい頃からカウンセラーのようだったと話してくれました。
その話を聞いたとき、
ああ、これは後から身につけたものだけではないのかもしれないな
と思いました。
人のことが気になる。
困っている人を見ると放っておけない。
相手がどう感じているのか考えてしまう。
それも、わたしという人間の一部なのでしょう。
だったら、
それを無理に消さなくてもいい。
優しいままでいい
優しいことで傷つくことは、これからもあるかもしれません。
人を信じて、期待とは違う結果になることもあるでしょう。
それでも、
傷つかない人間になるために、自分の大切なところまで硬くする必要はないと思っています。
優しいままでいい。
ただし、
自分を置き去りにしない優しさでありたい。
誰かを大切にするように、
自分の身体も大切にする。
誰かの事情を想像するように、
自分の事情も想像する。
誰かに「無理しなくていいよ」と言うように、
自分にもそう言ってあげる。
優しさを捨てる必要はなかった。
ただ、
その優しさを向ける相手の中に、自分が入っていなかった。
それだけだったのかもしれません。
だからこれからも、
わたしは優しいままで生きていきたい。
自分も、その優しさから取り残さないようにしながら。