「探求してもいい」と思えたら、少し楽になった

人間は、探求する生き物なのかもしれません。

もっと幸せになりたい。

もっと成長したい。

もっと自分を知りたい。

もっと心穏やかに生きたい。

もっと健康になりたい。

もっと自由になりたい。

もっと本当の自分を生きたい。

わたしたちは、いつも何かを探しています。

それ自体は、悪いことではありません。

探求するからこそ、新しい世界を知ることもできるし、人生が豊かになることもあります。

でも、探求していることに自分で気づいていないと、ときどき苦しくなります。

目次

「これが手に入れば大丈夫」

何かが足りない。

だから、それを手に入れようとする。

お金かもしれないし、仕事かもしれない。

人間関係かもしれない。

健康かもしれない。

知識や精神的な成長かもしれません。

「これが手に入れば安心できる」

「ここまで成長すれば大丈夫」

そう思って進んでいく。

そして実際に手に入ると、一時的に安心します。

でも、しばらくするとまた次の「足りないもの」が見つかります。

そして、また探し始める。

わたし自身も、ずっとこれを繰り返してきたように思います。

探求をやめようとすると、また探求が始まる

探求について考えていて、面白いことに気づきました。

「もう探さなくていいんだ」

と気づいたとしても、

今度は、

「探求しない自分になろう」

と、し始めることがあります。

もっと今ここにいられるようになろう。

もっと執着を手放そう。

もっとありのままを受け入れよう。

もっと何も求めない自分になろう。

これは一見、探求をやめているように見えます。

でも、

「今の自分とは違う状態になろう」

としているのなら、

それもまた探求なのかもしれません。

「探求をやめなければ」

という、新しい探求が始まっただけ。

そう考えると、なんだか面白くなってきます。

探求してもいい

だったら、もう探求してもいいんじゃないか。

最近、そんなふうに思うようになりました。

探求していることに気づかないまま、

「まだ足りない」
「もっと何かを見つけなければ」

と走り続けるのは苦しい。

でも、

「ああ、わたしは今、探しているんだな」

と気づく。

そして、

「探していてもいいよ」

と自分に言ってあげる。

すると、探求がなくなるわけではないのに、少しだけ苦しさが減る気がします。

不思議ですよね。

探求をやめたから楽になるのではなく、

探求している自分と戦わなくなったから、楽になる。

人間だから、探してしまう

もしかしたら、これからもわたしは何かを探し続けるのかもしれません。

面白いことを知りたい。

知らない世界を見てみたい。

もっと深く自分や世界について知りたい。

そう思ってしまう。

だったら、それでいい。

探求していることに気づきながら、探求してみる。

「あ、また探してるな」

と、ときどき笑いながら。

そして何かを見つけても、

「これでようやく大丈夫になれる」

と握りしめなくてもいい。

見つけたものを楽しんで、また次の何かに興味が向いたら、それも楽しめばいい。

探求をやめなくてもいい。

探求し続けなければならないわけでもない。

探しているときは、探している。

立ち止まっているときは、立ち止まっている。

そのどちらも起きていい。

そう思えたとき、

終わりのない探求が、

少しだけ苦しいものではなくなる気がします。

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