わたしたちが本当に求めているもの

人は、いろいろなものを求めます。

もっとお金が欲しい。

もっと仕事ができるようになりたい。

もっと人から認められたい。

もっときれいになりたい。

もっと健康になりたい。

もっと成長したい。

もっと自分を好きになりたい。

わたし自身も、これまでいろいろなものを求めてきました。

でも最近、

「わたしたちは、本当にそれらを求めているのだろうか?」

と思うことがあります。

もしかしたら、わたしたちが本当に求めているのは、お金でも能力でも成功でもなく、

その先にある「安心」や「ホッとする感覚」なのかもしれない。

そんなことを考えるようになりました。

目次

「これがあれば大丈夫」

たとえば、お金が欲しいと思ったとします。

もちろん、お金そのものが必要なこともあります。

でも、その奥を見ていくと、

「これくらいお金があれば、この先も大丈夫」

という安心を求めていることがあります。

能力を身につけたいときも、

「これができるようになれば大丈夫」

人から認められたいときも、

「認めてもらえれば、自分はここにいていいと思える」

そんな感覚を求めているのかもしれません。

だから、欲しかったものが手に入った瞬間、

「やった!」

という喜びと一緒に、

「よかった。これで大丈夫」

という、ホッとする感覚がやってきます。

もしかしたら、わたしたちはずっと、この感覚を探しているのではないでしょうか。

でも、安心は長く続かない

ところが不思議なことに、その安心はずっと続くわけではありません。

欲しかったものを手に入れる。

目標を達成する。

できなかったことが、できるようになる。

その瞬間は満たされます。

「これで大丈夫」

と思います。

でも、しばらくすると、

また何かが足りないような気がしてくる。

もっとお金があった方が安心かもしれない。

もっと能力があった方がいいかもしれない。

もっと成長した方がいいかもしれない。

そして、また次の何かを探し始めます。

不完全さを埋めるための探求

なぜ、手に入れてもまた探してしまうのでしょう。

わたしは、自分の中にある

「このままでは足りない」

という感覚が関係しているのではないかと思っています。

今の自分では不完全な気がする。

だから何かを手に入れて、完全になろうとする。

そして何かを手に入れた瞬間、その不完全さが一時的に消えたように感じる。

ホッとする。

安心する。

でも、しばらくするとまた不完全さが顔を出す。

すると、

「次はこれが必要なのかもしれない」

と、新しい探求が始まります。

お金。

能力。

知識。

評価。

健康。

人間関係。

精神的な成長。

探しているものは、そのときどきで変わっていきます。

でも、その奥でずっと求めているものは、

案外、同じなのかもしれません。

本当に欲しかったのは

もしそうだとしたら、

わたしたちが本当に欲しかったのは、

「もっとすごい自分」ではなかったのかもしれません。

ただ、

「大丈夫」

と思いたかった。

安心したかった。

ホッとしたかった。

そのために、いろいろなものを探してきた。

そう考えると、

これまで必死になって何かを求めてきた自分の見え方も、少し変わってきます。

そして、もうひとつ面白いことに気づきます。

「じゃあ、探求をやめればいいんだ」

と思うかもしれません。

でも、

「探求をやめよう」

とすることも、

「探求しない自分になれば安心できる」

という、新しい探求なのかもしれません。

そうなると、一体どうしたらいいのでしょう。

最近のわたしは、

探求をなくそうとするのではなく、

「ああ、また安心したくて何かを探しているんだな」

と気づくだけでもいいのではないかと思っています。

そして、

探していてもいい。

そう思えること自体が、

もしかすると、わたしがずっと探していた「ホッとする感覚」に少し近いのかもしれません。

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