最近、身体に触れていて思うことがあります。
身体って、何かになろうとしていないんですよね。
もっと良い身体になろうとか。
もっと整った身体になろうとか。
もっと健康になろうとか。
もっと美しい身体になろうとか。
そんなことを考えているのは、たぶん身体ではありません。
身体はただ、
呼吸して、
動いて、
感じて、
そのとき必要なことをしながら生きています。
私たちは、そんな身体にいろいろなことを求めます。
姿勢はこうしたほうがいい。
ここは柔らかいほうがいい。
ここに力が入っているのはよくない。
もっと深く呼吸できたほうがいい。
左右差はないほうがいい。
もちろん、それらを見ることが悪いわけではありません。
身体を整えることも、ケアすることも、トレーニングすることも、それ自体は何も悪くない。
ただ、
いつの間にか身体が、
「今のままではいけないもの」
になってしまうことがあります。
そして私たちは、
今ここにある身体ではなく、
いつか完成するはずの身体を見始めます。
でも身体に触れていると、
むしろ逆のことを感じることがあります。
身体は最初から、
その瞬間、その瞬間を生きている。
緊張しているなら、緊張している。
力が入っているなら、力が入っている。
縮こまっているなら、縮こまっている。
そこには、その身体なりの理由があったのかもしれません。
それをすぐに、
「直すべきもの」
にしなくてもいいのだと思います。
身体は、私たちが思っている以上に、
ずっとそのまま生きている。
そして不思議なことに、
変えようとする手を少し緩めたとき、
身体のほうから勝手に変化することがあります。
呼吸が少し深くなったり。
肩の力が抜けたり。
身体の内側に空間が生まれたり。
それは、
「正しい身体になった」
というより、
身体が自分で動ける余白が戻った
ように、私には見えます。
だから最近、
身体に対しても、
人生に対しても、
似たことを思います。
私たちは、そんなに何かにならなくてもいいのかもしれない。
より良い自分。
成長した自分。
整った自分。
癒された自分。
完成した自分。
そこへ向かうことが悪いわけではない。
向かってもいい。
でも、
そこへ行かなければならないわけではない。
身体は今日も、
完成する日を待たずに生きています。
呼吸して、
感じて、
揺らぎながら、
今ここにある。
もしかしたら、
私たちも同じなのかもしれません。
何かになってから生きるのではなく、
すでに生きている。
何かにならなくていい身体へ。
この言葉は、私がレゾナンスボディワークを通して大切にしていることでもあります。
身体を正しい状態へ導くこと。
身体を理想の状態へ変えること。
それよりも、
今ここにある身体に触れ、
その身体で起きていることに出会っていく。
身体は、こちらが答えを決めなくても、
呼吸し、揺らぎ、変化しながら、
その人を生きています。
だから私は、
身体を「変えるもの」としてだけではなく、
出会うものとして見ていたい。
何かにならなくていい身体へ。
それは、
「変わってはいけない」ということでもありません。
変わってもいい。
変わらなくてもいい。
ただ、何かにならなければ、
ここにいてはいけないわけではない。
そんな身体との時間を、
私はResonance Bodyworkでつくっています。
