安心安全な世界で生きること

以前のわたしは、自分の中にある小さな「〜でなければならない」を見つけては、

「そんな自分でもいいよ」

と、自分にOKを出すことを大切にしていました。

今でも、それはとても大切なことだと思っています。

でも最近は、

そもそも、OKを出さなければならないのだろうか。

とも思うようになりました。

目次

「元気なわたし」でいなくてもいい

以前、動画配信をしていた頃のことです。

ある日、とても疲れていました。

でも配信をしようとしたとき、

「こんな疲れた姿を見せてはいけない」

という考えが自分の中に出てきました。

元気な姿を見せなければ。

ちゃんとしていなければ。

見る人を心配させてはいけない。

でも、どう考えても疲れている(笑)

そこで、

「今日はものすごく疲れています」

と、そのまま配信したことがあります。

別の日には、化粧をせずに配信したこともありました。

そしてある日は、配信中に号泣しました(笑)

当時のわたしは、

「疲れている自分にもOK」

「スッピンの自分にもOK」

「泣いている自分にもOK」

と、自分に許可を出していました。

そうすると、とても楽になったのです。

自分にOKを出せると、他人にもOKを出せる

自分に厳しくしていることは、

知らないうちに他人にも求めていることがあります。

「いつもちゃんとしていなければ」

と思っていると、

ちゃんとしていない人が気になる。

「人前では明るくいなければ」

と思っていると、

暗い人を見ると居心地が悪くなる。

「弱音を吐いてはいけない」

と思っていると、

弱音を吐いている人に「もっと頑張ればいいのに」と思ってしまう。

反対に、

「疲れているなら、しょうがないよね」

と自分に言えるようになると、

誰かが疲れているときにも、

「そういう日もあるよね」と思えるようになります。

「泣いたっていいじゃない」

と思えるようになると、

誰かが泣いていても、無理に泣き止ませようとしなくなる。

自分に許している世界は、

他人にも許せる世界になっていく。

だから当時のわたしは、

自分に出せるOKが増えるほど、自分が生きられる世界は広くなる

と考えていました。

今でも、これはそうだと思っています。

でも今は「OKさえ、いらない」と思う

ただ最近は、

その「OK」という言葉についても考えるようになりました。

「泣いてもいいよ」

「疲れていてもいいよ」

「できなくてもいいよ」

とても優しい言葉です。

でも、よく考えてみると、

そこにはまだ、

許可する自分と、許可される自分

がいます。

泣いている身体は、

誰かからOKをもらわないと泣いてはいけないのでしょうか。

疲れている身体は、

「疲れていていい」と認めてもらわなければ休めないのでしょうか。

そんなことはないんですよね。

疲れた。

だから休む。

悲しい。

だから泣く。

今日は人に会いたくない。

だから一人でいる。

それだけでもいい。

身体は、ずっと教えてくれている

身体は、

「今日は疲れているよ」

「これは嫌だよ」

「ちょっと怖いよ」

「ここは安心するよ」

と、いろいろなことを教えてくれています。

でも頭には、

「ちゃんとしなければ」

「迷惑をかけてはいけない」

「笑顔でいなければ」

「頑張らなければ」

という、これまで生きてきた中で身につけた考えがあります。

だから身体が「休みたい」と言っているのに、

頭が「まだ頑張れる」と言う。

身体が「嫌だ」と言っているのに、

頭が「これくらい我慢しなさい」と言う。

そして、

身体から少しずつ離れていく。

安心安全というのは、

嫌なことが何も起きない世界を作ることではなく、

身体が何かを感じたとき、その感覚を置き去りにしないこと

なのかもしれません。

安心安全な世界は、外側だけにあるものではない

もちろん、

安心できる人と付き合うこと。

危険な場所から離れること。

自分を傷つける関係から距離を取ること。

そういう外側の環境も大切です。

それと同時に、

自分の身体が出している声を、

自分自身が無視しないことも大切だと思っています。

怖かったら、怖い。

嫌だったら、嫌。

疲れたら、疲れた。

嬉しかったら、嬉しい。

そこにすぐ、

「こんなことを感じる私はダメだ」

を重ねない。

その感覚と一緒にいる。

それだけでも、

身体にとってはずいぶん違うのではないでしょうか。

世界を広げなくてもいい

以前のわたしは、

自分にOKを出していくことで、

「安心安全な世界を広げていこう」

と思っていました。

今は、

無理に広げなくてもいいと思っています。

狭く感じる日があってもいい。

怖くて一歩も動きたくない日もある。

人に会いたくない日もある。

世界を広げることより、

今いる場所で、身体が少し安心できること。

そこからでいい。

そして安心できた身体が、

いつか自然に外へ向かいたくなったら、

そのとき動けばいい。

自分を変えて、

安心安全な世界へ行くのではなく、

今ここにいる身体を置き去りにしないことで、

少しずつ世界の見え方が変わっていく。

最近は、

そんなふうに思っています。

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