母の日ということで私の母について書いてみたいと思います。
幼い頃から父はいませんでした。
ただ、関係が途切れたわけではなく、月一回の面会交渉がありました。
(ちゃんと会わせてあげた母は素晴らしいと思う)
お小遣いや服などは父から会った時にもらう。母からは一切買ってもらったことも、お小遣いをもらったことはありません。もちろん母に請求したこともなく、子供ながらに役割分担を察していたのだと思います。
小さい頃から父から頂いたお小遣いを自分で管理するのが当たり前でした。 生活費を稼ぐために母は働きに出ていたので基本いつも一人でお留守番。
児童館に通い、自分で帰宅、鍵っ子というやつです。
遅い時は夜9時10時まで一人っきりだったし、夕食を一緒にとるなんてほぼなかったに等しく、小さい頃は料理なんてできなくて毎日500円渡されてお弁当を買ってくるか夜9時まで待つかが当たり前でした。
それでも寂しいなんて思ったこともないのです。
自分は趣味ややりたいことでいつも忙しかったし、生きていくために母は働いてくれているとわかっていたからです。
その生きていくために働かないといけないを感じとれたのは、父がいた時はちゃんと家族みんなでご飯を食べ、手料理をつくり、躾もちゃんと受けて、ちゃんとしていたから。
父がいなくなり一家離散になって「今はもう状況が違うのだ」と感じとれたからだと思う。あとは朝食だけは一緒に食べていたことも大きい気がします。
きっとみんなが一緒の頃も母が夜遅くまで帰ってこない生活していたら、違いがわからず、寂しいと感じていたかもしれない。ちゃんとかまってくれる時期がいっときでも存在していたから、今はできないだけなんだとわかったのだと思う。
あまり接していなかったこともあるかもしれないが母は基本放任主義なので喧嘩したことは一度しかない。
いつだったか祖母に「あんたは可愛くない子だ」と言われ、とても傷つき、それ以来、祖母に会いたくなくなってしまって足が遠のいたことがあった。
母はそれを知らず、私を怒ったのだが「可愛くないなんて言われて傷ついてるのに行きたいと思うわけがない!」と猛抗議した。
そんなことがあったのだと初めて聞かされた母は黙りこんでしまい、一晩考えこんだ感じが見受けられた。 何気ない一言で子供がどれだけ傷つくのかを私と母はこの時学んだのかもしれない。
それが記憶にあるたった一度の喧嘩だ。
それ以外は何も口出しせず、私も手間をかけさせる子供ではなかったと思うので問題はなかったと思う。一人だったので全て事後報告。
食べ物もその時食べたいものを食べ、自由時間は観たいTVを観まくり、やりたいことをやり、進学したいところは全部自分で決めてきた。お金は出世払いで借金。貧乏だったから自分が生きたい道のお金は自分で払うのが当然と思っていたからだ。
これは大人になってからも変わらず、結婚も、転職も、家を買う時も、離婚する時も全部事後報告。(今、冷静に考えても私ってすごい奴だと思う(笑)私の人生は小さい頃からほぼ全てのことにおいて「自分で選択してきた人生」だったし、今ではその生き方のおかげで今の私に至ったのだと思う。
何をするにも口出しはせず見守る、自分の子供を信用して任せてみる、これはとても大事なことではないだろうか。
母の「この子は大丈夫」という信頼感はなかなかできることではないと思う。
普通心配して口出しちゃうよね(笑)
自分が大好きだし、自分に生まれて良かったし、何度でも自分になりたいって思える。これは本当にすごいことで、そんな私にしてくれたのは母の力はとても大きい。
子供の頃に遊べなかったが大人になってから2人でその頃を埋めるように仲良くお出かけしている。まるで友人のように。
長生きして色々お出かけしたいね(^ ^)
お母さん、ありがとう!