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淡々と生きる~甘味、渋味、苦味、そして淡味となる~

始めることよりも、継続することのほうがよっぽど難しい。
「いかに継続するか」というところに焦点をあてたいと思います。

半年前くらいから自分の中で「淡々と生きる」という言葉が浮かんでいます。

思い起こせば、私は結構、淡々と生きてきた人間なのだと思う。

「誰が羨ましいとか、誰かに嫉妬したりとか、誰々が恨めしいとか、誰々が悪いとか、とても辛いとか、とても苦しいとか、誰かと変わりたいとか、自分が嫌い」など考えたことがあまりなく、環境のせいにしたことは一度もない。もしかしたら忘れているだけなのかもしれないけれど、記憶には全く残っていない。

幼少時代から波乱万丈で苦労もしているが特にそれらに対して難しく考えることなく受け入れてきて、淡々と目の前にある問題に対処して生きてきたと思う。

「淡々と行動をする」

わたしの中では当たり前で生きてきたけれど、どうやら目の前にある問題を受け入れられず、行動を起こせずに変えられないと悩む人がたくさんいるようだ。と、ここ2、3年で知りました。

甘味、渋味、苦味、そして淡味となる

千利休の話でこんな話があります。

新しい茶葉に60度のお湯を注ぐと、お茶は甘い。
ぬるいお湯で入れたお茶は甘い。(一杯目)

同じ茶葉で70度のお湯を注ぐと、今度は渋みが出る。(二杯目)

さらに80度のお湯を注ぐと、今度はお茶の苦い部分が出てくる。
苦みが出る。(三杯目)

さらに90度以上の熱いお湯を注ぐと、甘みもなく、渋みもなく、苦みもない、色だけのお茶が出る。白湯に近い状態で、これが出がらし(四杯目)

四杯目以降はもう出がらしで、かすかに色がついているだけの茶の味を「淡味」と呼びました。「淡」は”水が静かに動く”という意味で静かに安定している状態です。

利休は「この淡味のよさがわからない限り、お茶は永久に理解ができない」と言いました。
出がらしのお茶のおいしさがわかるようになれと言ったのです。

この出がらしのお茶の美味しさとは「感謝」です。
つまり「感謝できるかどうか」で物事の本当の面白みがわかるということ。

私はこの話にとても深く感銘を受けました。

人生には色々な出来事が起こり、人はそれに振り回される。
それはお茶でいう「甘味」「渋味」「苦味」なのだと思う。だけど、それすらも超えてしまい「淡味」の良さがわかると、もうそれだけでいいのです。

本物の「感謝」があれば、淡々としている状態でも面白い。

白湯に近い「淡味」のシンプルさは、「生きているだけでいい(面白い)」というシンプルさだと思ったのです。

私も人生の中で「甘味」「渋味」「苦味」をいくつも経験しました。具体的に「淡々と生きる」ことが常に浮かんでくるようになったということは、やっと「淡味」の良さを知りはじめたのかもしれないな、と思います。だって、生きているだけで面白いからね♪

そんなわけで、これからも「淡々と生きたいな」と現時点では思っています。
自分の出来ることを淡々と行動する、淡々とブログを書く、善悪を決めずに淡々とした精神を持つ、など。

特に気負うことなく、頑張りすぎず、淡々と生きたいと思う。

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