FBやTwitterでコミュニティ・クラッシャーについての記事を何度も見かけましたので、今回はコミュニティ・クラッシャーについて書きたいと思います。
ゆがんだ承認欲求の持ち主・コミュニティ・クラッシャー
「本当に怖い「コミュニティ・クラッシャー」の存在 ゆがんだ承認欲求の持ち主が、ウソの陰口でリーダーの足を引っ張る」
https://news.careerconnection.jp/?p=24425
コミュニティ・クラッシャーと名前がついていたことは知りませんでしたが、実際にこういったタイプの人間は存在していて、わたしも何度か被害にあったことがあります。
クラッシャーに被害を受けていると騒いでいた人が、クラッシャーだったという事例も体験しています(一見被害者に見えるので客観性があって観察魔じゃないと気づかないかもしれません)
クラッシャーからの被害を防ぐために、それぞれ関わらないようにしたり、受け流したりと防衛手段を考えて対応するとは思いますが、それでもいつどこで出会うかわかりませんから全く関わらないようにすることはとても難しい。
クラッシャーが隣にいても、防衛できる手段があれば良いですよね。
一番の防衛策は「信頼される人間になること」
わたしが考える一番の防衛策は「信頼される人間になること」だと思うのです。
例えば、わたしの陰口をクラッシャーが友人たちにあることないこと含めて言いたい放題していたとします。
そんな時、わたしが友人たちにとって信頼できる人間であったのなら「ひかるはそんなことしません」と信じることができるでしょう。反対にわたしが信頼できない人間であれば「ひかるならやりそうかも…」と思います。
普段からみんなから信頼を得るような行動と心がけをしていれば、全く問題ないと思うのです。
信頼できるかどうかは普段の行動次第です。
いつも陰口を言っている人間だとしたら「いつも陰口言ってるから他でも言ってそう」となるし、いつもいい加減な行動をしていたら「いつもいい加減だから今回もやってそう」となります。
自分が「信頼できる人間である」と自分自身を信じることができ、普段から信頼を得られるような行動を起こしていれば、コミュニティ・クラッシャーの存在に怯えることはない。
逆に怯えるということは、自分は信頼されているかわからない(そういう行動を普段から行っている自信がない)ことの表れかもしれません。
そして、コミュニティ・クラッシャーは誰にでもなる可能性がありますよね。
何気ない言葉が人を傷つけることもあるし、気をつけていても自分自身もいつコミュニティ・クラッシャーの立場になってしまうかもわかりませんので、人の評価に関わる発言をする場合は普段から気をつけていることがあります。
一つ目は、「言いたいことがある場合は本人に伝えること」
本人同士の問題なので部外者がいる場合は極力発言を控えますが、時には話題に出てくることもあります。その場合は相手を目の前に発言できる言葉しか言わないようにしています。
二つ目は、「感情ではなく、事実を言うこと」
相性というものがありますから、わたしには不快なことをしてきたが共通の友人とは仲がいいケースもあります。その場合も本人同士の問題ということで基本的には共通の友人には黙っていますが、どうしても他人に言わなければならない場面も、もちろん出てきます。
そのときは、事実しか伝えないようにしています。自分がされたこと、自分が見たこと、をそのまま伝えます。その際はもちろん証拠も提示できたら良いですよね。
普段から自分もしてしまっているかもしれないという意識を持つことはとても大切。
「わたしはいつも被害者側」と思っている人が一番危ないかもしれません。