今日はわたしの「劣等感」について書きたいと思います。

わたしは今まで劣等感を持ったことがないし、ブログでもそう書いてきました。生きてきて今まで「自分なんてダメだな」と思ったことがありません。

「自分の嫌いなところはどこですか?」と聞かれたら、かなり頭を悩ませてしまいます。自分の好きなところだったら、いくらでも出てくるのに。

 

アドラー心理学を初めて学びに行った時、岩井先生に「わたしは劣等感を感じたことがないのですが、そのような人に出会ったことがありますか?」と休憩時間に唐突に尋ねてしまったことがありました。

先日のアドラー心理学ゼミナールを担当したとき、一番最初にわたしを紹介してくださった際、その出会いのお話を岩井先生がしてくれました。

劣等感がないと伝えてきた人は約1000人中3人出会ったことがあると話をしてくれました。そして3人目がわたしです。

 

さて、わたしは本物でしょうか!?(笑)

自分が「劣等感がない」と思っていても、もしかしたら記憶を書き換えたり、心に蓋をしていたりするかもしれないので「自称です(笑)」とその時は答えました。

 

わたしの「劣等感がない」はニセモノか、本物か?

やはりそういう話を聴かされると「嘘でしょ!?」「マジで!?」と皆思うらしい。それは仕方のないことだとわかっています。

でも、疑いの目で見られてしまった時はやっぱり寂しいなと思います。
自分では嘘をついているつもりは毛頭ないからです。
 

それでも、自分の中の「劣等感がない」は自分自身でも本当なのかがわからないから、自信満々に「劣等感なんてありません!」なんて言えません。

確証なんてどこにもないし、わたしの心の中のことなんて他人にわかるはずもないのだから反論もできないし、するつもりもないです。

 

でも、わたしの「劣等感がない」はニセモノなのだろうか?本物なのだろうか?やっぱり気になったので、先日岩井先生とのカウンセリングで「わたしの劣等感」についての話もしました。

人を視るエキスパートである先生はどのようにわたしを視ているのだろう?

 

わたしは劣等感という花を育てなかった人

その時に先生はわかりやすく、花を例えに話してくれました。

わたしは幼少の時から困難がたくさんあった=劣等感の元になる”種”はたくさん持っている。

でも、水をあげて育てなかった。花を咲かせなかったのがわたしなのだそう。結果的に劣等感の種は持っているが、花は咲いていないので「劣等感を育てなかった人間」だそうです。

蓋をしている状態は、花が咲いているのに上から蓋をしている状態だから、ちょっとした行動からそれが出てくる。それがわたしにはないそうです。

花が咲いていない状態と花が咲いていて伸ばさないように抑えつけている状態は全く別物だと説明をしてくれました。

 

 「あぁ、よかった」と安堵しました。
「自分の心を騙していなかった」という安堵感と「みんなに嘘をついていなかった」という安堵感です。

どうやら幼少の頃から建設的な自己決定をしまくって、このように育ったようです。
わたしはかなり変わり者みたい。

 

劣等感を育ててこなかった・悩んだことがない、わたしをどう生かすか

劣等感があるからダメ、ないからイイという話ではないのです。
悩んだことがあるからダメ、ないからイイという話ではないのです。

今後、いや今から、
劣等感を育ててこなかったわたしをどう生かすかが問題なのだと思う。

 

何はともあれ、前よりも「劣等感を育ててこなかった人間はいるんだよ」って自信を持って言えるから嬉しい♪

 

そういう存在がいるってことだけでも知ってもらいたいと思う。

それだけで人間は「悩むのが当たり前」「劣等感あるのが当たり前」という決めつけ、心理学の世界では「蓋をしている・閉じ込めている説」という決めつけがなくなるのではないでしょうか。

そして、「こういう人もいるんだ!」って希望を持ってくれる人もいるだろうから。