「人間は善い人悪い人はいなくて、自分の都合や状況で善い人にもなるし、悪い人にもなる」と思うのです。

買い物に行く時、近所のスーパーまで住宅街を通っていきます。
一軒家が建ち並ぶ道を歩いていくのですが、ちょうど目線のちょっと下くらいの高さの塀のお宅があります。その塀の上には時々、誰かが置いたであろう空き缶や吸殻などゴミが捨てられています。 それを目撃すると良心が働いて心の中では「捨てたいなぁ」と考えます。

でも買い物があること、スーパーまでの道のりにゴミ箱がないことを理由にいつもそのままゴミを見なかったふりをします。そして、買い物を終えて帰宅するときに、またその家の前を通ります。 わたしはこの時にやっとそのゴミを拾っていくのです。

行きは拾えない(悪い人)けど、帰りは拾える(善い人)のです。
なぜなら、買い物が終わっていること(ゴミを持ったまま買い物できないので)それから、帰宅するときはコンビニのゴミ箱か自宅のゴミ箱に捨てれば良いだけだからです。

 

人は自分の都合に合わせて態度を変える

この例え話のように、みなさんにもよくあることだと思います。

人は環境や条件やその時の気分なども含めて、自分の都合に合わせて善い人にもなるし、悪い人にもなるのです。

困っている人がいたり、道に迷っている人に話しかけられたけど、急ぎの用事があったら親切に受け答えができなかったとかね。協力できる時と協力できないと時があるし、親切になれる時となれない時があるものです。

人間はそうなるのが当たり前だと知ることはとても大事です。
人の態度に対して過剰に一貫性を求める人もいますが、それは無理という話です。

 

ちなみにわたしは道のゴミを拾うのは「この先の用事に合わせてゴミを拾っても支障がない」「この先にゴミ箱あったか」と条件をクリアした時に、ゴミを拾う人になります。

そして、傍目からみてこういった「善いこと」はできるだけ一人のときや顔見知りがいない時にやるようにしています。

なぜなら、もし他の人がいたところでゴミを拾った場合、「あの人は拾っている。私もやらなければならない」とか「自分はできていない」と心理的に圧迫感を与えるからです。

見知らぬ人がやっていたら「偉いなぁ」と思うでしょうが、友人や近しい人が隣でやっていたら、どうでしょう? 善い人の隣にいると、自分までも善い人であらねばならないと思う気持ち、そう感じたことある人いらっしゃるんじゃないかな。

想像したら、わかりますよね?

元々の考え方がわたしのように「自分は自分、他人は他人」と割り切れる人なら問題ないと思うのですが、そう割り切れる人はとても少ないです。

色々な人がいるから、極力わたしはそういう「私もやらなければ!」という圧迫感を与えたくないなと思うのです。 「ゴミを捨てなければならない」 そう思って欲しくないのです。

そりゃ、捨てたほうがいいですよ。でも、すでにゴミを捨てないことを実践している人はそれだけでも素晴らしいとわたしは思うからです。

こういう傍から見て善いことというのは「自分がやりたいときにやる。やれるときにやる」で良いのです。それぞれに環境や条件や立場が違い、できないことだってありますから。

「(善いことだから)あなたもやりなさい!」と考えたり、他人に強要させるような圧迫感を与えることは、他者への暴力にも成り得るのですから。 当たり前のことをしっかりと出来ている自分に誇りをもって、褒めてあげてください(^^)