先日、生田斗真くん主演の「予告犯」という邦画を観ました。
今日書こうと思ったお話と重複する部分があったなぁと思い、映画のことにも触れようと思いました。

この作品いろんな意味で深みがあり、味がありました。
今日取り上げたいなと思ったテーマは「菩薩になれる人、なれない人」についてです。

実はこれ、わたしが普段からわりかしよく考えるテーマで、この作品の生田斗真くんが演じる予告犯・ゲイツと、戸田恵梨香さんが演じる警視庁のサイバー犯罪対策課の班長・吉野 絵里香の ”陰と陽” のような対比をみて、頭に浮かんできました。

この二人は過去に同じような境遇<過酷ないじめ>の経験がある人たちなのです。
二人は同じように死ぬほど辛い経験をしました。でも、一方はそのまま地の底へ落ち犯罪者へ、一方はそれに負けず必死に這い上がって警視庁のサイバー犯罪対策課の班長にまで登りつめた人です。

辛い過去や挫折したとき、「頑張れない人々だっているんだ」という犯人と、「それでも頑張ればいいんだ!甘ったれるな!」という警察官。

わたしも苦労の多い人生だったので、犯人側の気持ちもわかるし、
それらの苦労を乗り越えてきたので、警察官の気持ちもわかります。

ただ、二人がお互いの主張を伝え合うシーンを観ていて「この警察官は菩薩ではないな…」と思ったのです。

 

菩薩になれる人、なれない人

「頑張れない人もいる」というのは頭でわかっていても、やはり何気ない態度や発言に出るものです。頑張って這い上がってきた人間には、「自分にできるのになぜ貴方はできないの?」と心のどこかで思ってしまい、それが態度に出るということです。

 

わたしもちょっと前まで警察官よりの考え方が強い人間でした。
ただわたしの場合はそこまで酷くはなくて、意地でも這い上がるというのが自分の中にはなく、いつの間にか這い上がっていたが正解なので、またちょっと違う感覚の持ち主かもしれません。

でも、その這い上がってやるという想いが強いほうではないので、気づいてからすぐに修正できたところがあります。

 

あるとき、「貴方は元々のスペックが高い人。人それぞれ元々持っているスペック等も違うので、相手の100%が貴方の20%の時だってあるんです。そういう時、なんで私にできるのにあの人はできないのだろう?と思わずに、なるべく理解してあげてください。」

そう助言をいただいたことがありました。

 

その時まで自分はスペックが高いとか低いとか発想すらなくて、「自分にできることはみんなも普通にできる」と思っていました。なぜなら、自分は特別な人間じゃないから。

でもこの「普通」ってなんなんでしょ?
自分の普通であって、本当の「普通」なんてありませんよね。

 

その時に、スペックはともかく、人は違うものであり、得意分野も違うのは物凄く理解できる。
相手は100でもわたしが20に感じることもあるだろうし、その逆もあるだろう。
そのことも心にとめて、考えなければいけないなと思ったのです。

 

お釈迦様は、なぜお釈迦様になれたのか?

そして先日、友人たちと別件でそのような人たちの話をしました。

「主体性もあり、筋も通っていて、内容も真っ当と思える。はっきり物を申す○○さんはとてもカッコよくて気持ちがいい人。でも、相談はできないんですよ」って、そんな話をされました。

相談しても片言で終わらせてしまう、助言をもらえない、キツイ言葉で返ってくる、(自分ができるので相手もできるのが当たり前だと考えて)やればいいだけでしょ、そのような態度をされる。

「筋も通っているし、とてもいい人なんだけど、教育者には向かない人だよね」と言ったら、「そう!それです!」と盛り上がりました。

皆さんの身近にもそういった方はいらっしゃるかもしれません。
わたしにもそういった扱いを受けた経験があるのでよくわかります。

 

わたし自身の経験談ですが、周りから人格者と思われている人の中にも2種類存在すると思います。

それが「菩薩道を歩んでいる人か、そうではないか」です。
「共感力」があるかどうか。他者に手を差し伸べられるかどうか、それらの違いです。

 

自分の向上のみにしか興味がない人は菩薩にはなれない人だとわたしは思っています。(菩薩道は自己向上と他者への救済はセットだと思っていて、それらを合わせて自己究明になると考えています)

 

ここからはわたしの妄想的なお話ですが

お釈迦様はなぜお釈迦様になれたのでしょうか?
この広い世界にお釈迦様だけしか人格者はいなかったのか?

違うと思うんですよ。
いまの時代と同じように人格者なんて世の中にいっぱいいたと思います。

なぜお釈迦様になれたのかというと、自己向上に努めながら他者への救済を死ぬまでやめなかったからだと思います。

王様には、王様にわかるように教え、
庶民には、庶民にわかるように教え、
子供には、子供にわかるように教え、
文字が読めなかったら、読めない人にも伝わるように教え、
自分が亡くなる姿さえも教えにしてしまう。

方便を使い分けて、様々な立場の人に教えを説いていた。
だから今皆さんもご存知のお釈迦様になれたのではないでしょうか。

 

この映画に出てくる警察官がどんなに筋が通って、真っ当なことを主張しても、相手を理解しない態度には共感できません。共感力を最大の武器にしている犯人たちの気持ちに寄り添ってしまうなぁ。

それくらい共感力って人を動かすもので、大切なものだってことを知って欲しいです(^^)

共感力があるから方便も増えていく。他者と関わるから自己究明できる。
自己向上ばかりに向けても、ずっと自分のことを知らないままのような気がします。それは本当に向上しているのか?そんなことを考えています。

 

この映画、このような見方だけじゃなく、他にも考えさせられる言葉や場面などもありました。どうやら元々原作があるようです。もし興味をもちましたら是非観てくださいね。