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「何でも好き」といえるわたしには可能性が無限にあると感じた

最近、自分の「何でも好き」と思えることって実はすごいことだなぁと感じはじめた。

それが何故すごいことだと感じ始めたか?

実は最近『自分のやりたいことをやる』という流れで生きてきたのに、『他人から求められることをやる』という流れにある日突然、激流のごとく、その方向性にシフトし始めた。

とても大きな自分の力では抗うことができないような、、、
この流れは「完全に神様が作っている流れだ」と感じるくらいのものです。

 

自分がやりたいこと・子供の頃からの夢→ゲームクリエイター(3Dデザイナー)

自分からすごいやりたいわけじゃないけど作業は没頭できて好きだし、なぜか周りから求められること→WordPressやYouTubeの動画編集

最近では、自分のやりたいことと、求められていることの仕事が半々となり、やや求められることのほうが多くなってきた。

 

「自分のやりたいこと」から「求められることをしていく」へ

あまりにも突然で、「いつもと何か違う」と思ったらあっという間に、激流に飲まれていくような、、、そんな感じだった。

ちょうどその頃、高次元からのメッセージでも「今のあなたの幸せは自己満足の世界にはない。今のあなたの幸せはより多くの人が幸せになるところにありますからシフトしなさい」とメッセージをいただいた。

この流れに「自分のやりたいことやれへんようになるの?」って、「なぜ今になって突然?」とか「なんで?なんで?」って頭の中でぐるぐるしてた。突然の激流にのまれて、最初のうちは不安で迷って、色々な信頼できる友人にこの経緯を話した。

そのときに口々に言われたことは「それって自己超越じゃない?(約2名にいわれた)」「自分のことを満たせないと他者貢献できない」「自己肯定感の高さから次のフェーズに移行が来たのかも」と言われたのです。(全て違う人たちからね)

「自己超越」っていうのはマズローの欲求に出てくるものなんですけどね。

なんとなく知っている程度だったので初めてそのときマズローの欲求について調べてみたんです。どうやら100人に2人の割合でしか到達できない領域らしいのだけど、、、。

合っているような気もするし、ちょっとよくわからないなぁという感じだったので「まぁそのうちわかるかな」と放置。

だけど、この流れについては「神に使ってくれと宣言しちゃったからしゃーない」と腹を括りつつ、様子をみることにした。

 

でもね、あれから2ヶ月くらい経って、また「自己超越」って言葉が浮かんできたのですが、そのときに先ほどの仲間たちに言われた言葉や先日の古事記スクールで話したことなどが一瞬で思い出され、ハッと気づいたことがあってまた調べてみたんです。

マズローの欲求について興味ある方は参考サイトです
[blogcard url=”https://ikiru-imi.net/?p=58″]

 

自己実現は、もしそれが目的そのものになると達成されえず、ただ自己超越の副次的結果としてのみ達成されるものなのです。」

V.E.フランクル博士

V.E.フランクル博士は自己超越について、こう話しているらしいのですが

この話を先日の古事記スクールの反省会の時にスタッフのみんなと似たようなことを話したんですよ。

「自分のやりたいことをやろう」を勘違いして、それだけに留まってしまうとダメよねって話をしたのね。

 

「何でも好き」といえるわたしには可能性が無限にあると感じた

そのことを思い出して、自己実現や自己超越について考えてみたんだけど、

「自分のやりたいことをやろう!」を「やるべき」になっている状態は自分の中では違和感あるのね。それって自由じゃないし、囚われているよね。ある意味、執着。

やりたくないこと、やりたいことをどちらか選べというのなら「やりたいほうを選ぶ」けど、やりたくないことをやるときだってあるし、否定はしない状態がベストだなって。

 

それから、わたしは好き嫌いがあまりなくてね。
何でも好きになれちゃう人なんです。(わたしのライフスタイル診断にもそれが出ています)
それは別の角度からみると、自分をしっかり癒してきているのでブロックが少ないともいえるんですね。

「自分のやりたいことをやろう!」をオススメされている理由として、自分の不満・不安がわき起こらない状態を作ることによって自己愛を高めていく・癒している効果があると思うのですが、自分を満たしている人はそんなの関係ないのではないか?と自分を観察してみて思うのね。

自己愛に満たされていない人はそこから(好きなことをやるという状態)から離れると不安や不満を抱くだろうけど、ある程度満たされている人は

①まず「不満」を感じることがない(いいところ探しと意味づけがある意味上手)
②自己愛を高めていく・癒す必要がない又は終了している(ので好きなことをしていく必要がない)
③外側がどんな状態でも内側が満たされている状態が続くので(と知っているので)、環境や状況を選ばないのではないか?
④自分を満たしていると勝手に溢れてしまう状態になるので、それが他者貢献に繋がっていくし、そういう環境が現れてくる。

で、わたしはきっとこのフェーズに切り替わるところにいるんだろうなと、今になって思えてきた。

間違えないでほしいのは自己犠牲的な我慢している状態なら「求められること」ではなく「自分がやりたいこと」をやってください。
満たされている人は、全然意識が違うので「求められること」をしていても、大丈夫なんだよな~。我慢もしないし、苦痛じゃないの。

そんな感じで思うのよね。

 

仲間には話したけど「別にもう3Dデザイナーやめてもいいんだよね~」と思ってるんだよね。
わたしの中では子供の頃からの夢は20代で全部叶えてしまっているし、3Dはただのツールだから、別のツールを使えばいいじゃん!ってノリのところまで来てしまっています。

「だったらより多くの人に求められることをしていったほうがいいよね~」って自然となっていくと思うのです。

 

昔は自分のやりたいことをやろう!派だったけど、やりたいことをやる派と求められる派どちらでもいいんじゃないかなーと最近は思うようになった。

迷っている時期を乗り越えてどちらもOKにしたら、世界も自分自身も、加速してものすごい勢いで変わり始めた。

結果的に、自分がやりたいことも、求められることも両方くるようになったのです。

 

今は半々の状態だけれども、心境的には「やりたいことができなくてもいいかな」と思えるようなところにまで来ているんだよね。

そう思い始めると現実もそうなっていくだろうけど、自分の人生が今後どうなっていくのかを楽しみにしたいと思います(笑)

 

コンサルのときにお土産でいただいたオレンジジュース☆感謝!

 

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