新サービス「豊さを引き寄せるインディビジュアルブランディング」のモニター募集(残り4名)を開始しました詳しくはこちら

夢で流れてきた教え

先日寝ているとき、仏教についてあることが反復して流れてきました。
膨大すぎて文字におこすのが大変(文字だと表現も伝わりづらいから😅

でも、これはみんなに伝えた方がいいのは直感的にわかったのでシェアします。

あと、当然ながらわたしが受け取ったものをそのまま書いてるだけなので「正しいか間違っているのか」という視点で受け取られると非常に困るものです(笑)わかりやすく書いたつもりですが、必要な方は受け取ってください。

夢で流れてきた教え(内容からして仏界に入る手前の方々へのメッセージに思います)

戒律というのは凡夫のためのもの。顕在意識を整え、潜在意識を書き換える手法が戒律です。
だけど、自らが仏界に到達したならば、戒律はもう必要ない。

今まで忠実に行ってきた戒律は身体の一部となり、戒律がなくても思考・態度共に振る舞うことができるからです。
戒律を当たり前のように守れる自分になったとき、戒律なしに生き、自分の頭と身体を使い自分を発揮して生きていく。

お釈迦様の言葉に「仏の教えは川を渡るための筏のようなものである。そして向こう岸に渡ったら筏を捨てていけばよい」というものがあります。
筏とは仏教のことを指しています。こちら側が此岸(しがん)現世であり、あちら側が彼岸(ひがん)仏の世界をいいます。

そして「自らを灯明とし、法を灯明とせよ」とも言いました。
あなたが一番、仏教(どんな教えも)はその次です。

相手がわたしに伝えたいことは何か?

戒律なしにということは、ダメだと言われているものも必要なときには自分で自由に選択することができるということです。

高次にいくほど、そもそもあれがよくてこれはダメという制限する概念がないのです。

人を導くためには怒りや汚い言葉を使うこともあります(キリストもそういうところがあったようです)

目の前の人に合わせて説法するのがお釈迦様のやり方で、菩薩や如来たちも目の前の人を導くために病気になったり、嫌なやつを演じてみたりします。悪魔になって登場することもあるかもしれません。

決して良い言葉ばかりを使うわけではない。

相手にとって建設的なほうを選択する。
目の前の相手にはこの手法がいいだろうと、その人にあったものを選ぶのです。

それを「慈悲」だと私は解釈しています。「悲」の漢字には母親のような厳しさ(=母の愛)という意味も込められているからです(辞書で調べました)

相手から怒られたり、汚い言葉でも、自分がしてしまったことに「ハッ」と気がついて、これはいけないと態度を見直すことってありますよね。

わたしも内心怒ってないけど、手法で怒りを使うことあります(笑)
何でも使えるものは使って人を導こうと思っているからです。

それに気づくにはある程度、受け取り側の力量も必要となります。
自分も実践していないとわからないからです。

相手がコントロールしてくるのか、苦言であるのかを見極めるコツは表面上の言葉の質や感情(ネガティブな感情か)を気にしないで、

「相手がわたしに伝えたいことは何か?」

この一点に集中して受け取ること。

これを訓練していくと相手の伝えたいこと〈核の部分〉を正確に受け取れるようになり、表現の違いなどに苦しまないようになります。

「相手がわたしに伝えたいことは何か?」

是非やってみてください。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
目次
閉じる