今週気づいたこと、感じたこと(2021.09.13〜09.19)

久しぶりに困難がやってきてから、自分でも気づくことが多い。
普段はFacebookの投稿がメインでそちらに投稿しているが、誰かの参考になるかもしれないのでブログ記事にまとめることにしました。必要な部分があれば、受け取ってくださると幸いです。

目次

本当にそれは正しいのか?と問える自分であれ

ヒカル

新しいステージ、課題を与えられるたび、ほぼ毎日、気づきもしなかった偏見や思い込みを持っているなぁと気づかされる。

今まで体験してこなかった世界に触れると特に。
触れたことないのに勝手に偏見、思い込みを持ってる。

それはTVの影響だったり、幼い頃から何気に見せられていた世間一般のイメージだったり。それらに惑わされて不安になったり、惑わされたりするのかもしれない。

本当にそれは正しいのか?
思い込みじゃないのか?
新しい見方があるんじゃないのか?

まだまだ偏見の塊。

だけど、気づける自分や「本当に?」と問える自分をほめたい。

このまま柔軟に考えられる自分でいたいな。

新しい世界の勉強をしなきゃいけないと情報を集めていくうちに、自分がネガティブな時はネガティブな情報が出てきて、自分がフラットもしくはポジティブな時はポジティブな情報が出てきた。

これによって情報も自分の波動(気分の状態)によって出てくるものが違うというのを再確認できたと共に、ネガティブな情報は世間一般で言われているイメージだったり、TVドラマの影響で自分がそう思い込んでいることに気がついた。

ネガティブになってもいいが、その後で一呼吸をして「本当にそれは正しいのか?」とちゃんと自分に問うてみることは大事ですね。そして、ポジティブに思える情報が出てくると心も軽くなり、自分の偏見や思い込みに気づけます。

「こんな世界があるのだ」というのは、困難関係なく、結構重要。

ハイヤーセルフ(高次の自分)と人間の自分の違い

ヒカル

ハイヤーセルフ(高次の自分)と人間の自分の違いが一度モヤモヤすることによってわかった。

ハイヤーセルフの状態になると自分に降りかかってくる一見困難なことでも心が楽しくなるというか、ワクワクするというか「やったるでぇーー!」という気分になり、この先何も心配がないと思っている。

よって、あれこれどうするなどとは考えない。

人間の自分はまだ起こっていないこと、在らぬことに不安や心配な気持ちをもって「どうすればいいか?」と考える時間が増える。あれこれと考える。

良くならないかとコントロールしようとしている。

要するに今を生きていない。

抗わずに流れに委ねて生きること。

それができて、今を生きれる。

普段はハイヤーセルフの状態で生きているほうだったりする。(一般的には逆だけど、わたしはそちらが普通の状態)

今回の困難のおかげで「人間の自分」をみることができた。
この経験がなければ、上記のことは考えつかなかったと思うのでいい経験ですね。

今を生きていないとき、抗わずに流れに委ねて生きていないときは、大いなる力や世界を信頼していないということ。
コントロールしようとしているときというのは、目の前にあるヒト・モノ・コトを信頼していないということだ。

他人のことが気になって一言いってしまいたくなることについて

最近ご縁があって勝手にフォローさせていただいている大好きなNeoさんのツイートにうなづく。
Neoさんはわたしが思っていることをいつも言語化してくれるし、それによって再確認させてくれるありがたい存在。

これを受けて感じたこと、考えていたことを書いてみた。

ヒカル

中道に到達した人はネガティブな言葉もわかってあえて選択して使うし、そもそもネガティブだと思ってないので言葉が使えるって言うの良くわかる。怒りなどのいわゆるネガティブ感情もそう。

ディセンション(次元下降)して言葉を選択するなんて良くある話ですが(わたしもよくやる)、これはある程度到達して自らディセンションしたことある人しか見分けがつかない。

本当は高次だけど使命のために低波動の場所でディセンションして働いている人だっている。

その言葉を聞いた人がネガティブだと思ったというだけの話。
その光景をみて低波動だと思ったというだけの話。

全てはあなたがそう思ったということ。
そこに「本当のあなた」がみえるはず。

このときに「あの人がネガティブなことを言った」ではなく、「なぜ自分はネガティブに感じたか」と自分に問うと成長する。

相手がネガティブなわけではなく、自分がネガティブだと感じてしまう価値観、信念、思い込み、偏見を抱えている。

自分の中にそれらが「ある」ということ。

無我も同じ。
自分が無いわけだから他人軸に生きている風に見えるが、ただの他人軸で生きている人と無我で他人軸にみえるのは全然違う。

でもそこに到達したことない人は見分けがつかない。

無我の人を「自分らしく生きてない人」なんて検討違いな解釈をする人も中にはいるだろう。

だから、他人のことなんて気にすることない。
相手の本当のところなんてわからないのだから。

それがわかっている人は何も言わない。
そして、時にはあえて言ったりする。

観察して必要だと思ったものを選ぶだけになる。
そして選ばなくてもいいとも思っているだろう。

自分はなぜそう思うのか。
自分は何を選択して生きたいか。

考えることはそれだけでいい。

正直、この文章もある程度、魂の経験値が高くないと読み解けないように思うけど、でも書いてみたんだよね。
同じエネルギーの人ってSNS等に登録してるけど見てるだけの人が多い。
見てる可能性があるのなら、、、ということで書いてみたのです。

正見力(書いて字の如く、正しく真実を見ること)って大事ですね。
最近、この「現実をちゃんとみる力」ってのがシンクロで入ってきます。

正見力がついていくと、自然とジャッジしなくなっていく。
自分の経験からそのように思う。

相手をジャッジする世界はもうやめて、いかに自分に矢印を向けて魂を磨いていくかにシフトしてほしいなぁ。

ここ2、3日に気づいたことや思ったことは以上です。
次はどんな気づきがやってくるのか、楽しみ♪

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