父母からの大きなギフト 〜<四苦>について向き合う〜

皆さん、こんにちは。
メンタルコーチ/動画クリエイターの安西光です。

朝起きてからお茶を入れているときに、ふと父が亡くなる前に言っていたことと母が今言っていることが共通していることに気がつきました。

長らくわたしと付き合ってきた(もしくはブログを初期の頃から読んできた人)は知っていると思いますが、両親はわたしが小さい頃に離婚をしました。父とは中学までは月1度は面会していましたが、高校生になってからは電話するだけになり、20歳の頃に完全に連絡が途絶え、完全に生き別れ状態に。

十何年経ってとあることがきっかけで連絡が取れたかと思えば、一年後には東日本大震災の二次被害といいましょうか、震災の一ヶ月後に父は孤独死変死体で見つかりました。

連絡が取れるようになったとき、父が寂しそうに「ひとりはさみしい」と言っていたことを思い出しました。
DVをするような強気な父でしたからその発言に(心を開いたことについて)ビックリしたことを覚えています。

実は今、母も認知症になり独り暮らしをしていますがいつも「ひとりはさみしい」「ひとりぼっちだ」とほぼ毎日言います。

お世話になっている人、気にかけてくれる人がいるにも関わらず、ひとりで生きていると勘違いしています。
毎日毎日電話をしても、交流しても、孤独感が消えません。

二人に共通するのは『孤独感』ですね。
本当は周りに支えてくれる人はいるのに孤独と感じている、という思い込みです。


その共通点のことを考えたとき、仏教の四苦(生老病死)のことを思い出しました。

この一年、母の認知症を改善すべく介護をしていますが、よくよくこの仏教の四苦(生老病死)を考えます。

仏教の「苦」とは単純に苦しいという意味ではなく、『思いどおりにならない』という意味です。

生まれることも、老いることも、病気になることも、死ぬことも、わたしたちが思いどおりにコントロールできるものではない。思いどおりにならないから苦しみが生じます。

母は認知症になってから自分が老いていくことも、認知症であることも、死ぬこともまだ完全に受け入れることも出来ておらず、この一年間ずーっとそれらのことで苦しんでいます。

まぁ、人間であればそれが当たり前なのでしょうが。

わたしは隣でずっと生老病死のうちの三つに苦しむ姿を母から見させてもらい、学んでいるわけです。
いや、四つ全部かもしれません。苦しみを持ちながら生き続けていかなければいけないことにも悩んでいるからです。

その姿を見させてもらい、お釈迦様のいった四苦について、より理解を深めていっている時期なんですね。

ここで上記に書いた父母の共通の言葉

「ひとりはさみしい」

スピリチュアル的に書くならば宇宙とつながっている人、アドラー心理学的に書くならば共同体感覚が宇宙にまで及んでいる人はあまり「ひとりはさみしい」と思わないのだろうと思います。


お釈迦様の言葉で「犀の角のようにただ独り歩め。」という言葉があります。

「人はひとりでは生きていけない」

これはある意味、正解です。
だけれども、死んでいくときは独りだということにも目を向けなければいけません。

死ぬときはお金も、名誉も、権力も、大切な人もあちらの世界には持って行けません。
「一緒に死んでください」なんて言えませんものね。

多くの人は死ぬことに恐れを抱き、元気なうちは向き合うことすらしないでしょう。
でもその”とき”はいつか必ずやってくる。

結局は最後は独りですよ、とお釈迦様は教えてくれているのかもしれません。


ここで想像してみてください。

川の上にわたしたちが乗っている小舟があり、川の流れの先の先は断崖絶壁の滝になっています。
小舟は川の流れに沿って流されていき、やがて小舟は滝に飲まれて落ちるだけです。

これがわたしたちの人生だとしたら

小舟に乗っているのは「わたしたち」
川の流れは「生きている時間」
滝に落ちるときが「死ぬとき」

アドラー心理学やその他対人関係を良くするためのテクニックや知識などは、滝に落ちる前、小舟に乗っている複数人がどうやってコミュニケーションをとっていくか?小舟をみんなでどう漕いでいくか?
乗り員との課題やトラブル対応・小舟での出来事に必要なこととなります。小舟でのコミュニケーションを円滑にしていくことはとても大事ですので、これらの知識はとても大事なものです。

でも、わたしたちはいつかは滝に落ちるのです。
もがいても、足掻いても、川の流れを止めることはできず、いつかは滝に落ちるときがくる。

「もうすぐ滝に落ちる!」
そうわかった瞬間・死が見えた瞬間に、小舟に乗っている全員が小舟での出来事の悩みなんて大したことなかったと気づくのです。

わたしが仏教をおすすめするのは、仏教はもっと人生を広義的に捉えて「滝に落ちる」ところまで向き合うものだからです。小舟での対応もしっかりやりつつ、自分の人生の終わり<死>までしっかり目を向けるものです。


父に関しては小舟での対応についても学んでこなかったし、父母ともに滝に落ちることを考えて生きてきませんでした。

突然目の前に展開された<四苦>を受け入れることができない。
だから苦しむ日々を送っています。

でも、それでいいのでしょうか。

死ぬことがわかっているのに、受け入れられずに苦しみ続けて生きて死んでいくなんて。
もったいないと思ってしまいます。

苦しめば、四苦が解決するのでしょうか?
四苦がなくなるのでしょうか?

父母から娘に与えた学びはとても大きいものですね。
40代からそれらを考えさせる日々を与えてくれています。

あなたは<四苦>について、どう考えていますか?
会う機会があったときは、是非教えてください。

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