皆さん、こんにちは。
いのちの力を引き出すセラピストの安西 光です。
先日、X(エックス)である内容のポストが流れてきました。
AC(アダルトチルドレン)に関することで「親に愛されていた人ほど親離れできる、愛されていないほど親離れできない」といった内容でした。『本当は愛されたい』という想いが深層心理にあるので嫌な想いをし続けてでも親に期待してしまったり側に居続けてしまう選択をするといったことを言いたいのだと思います。
これは半分正解ですが、半分は間違いだと私は思います。
わたしは客観的事実としてはAC(アダルトチルドレン)の立場ですが、幼少の頃からあまりそれらを気にせずに生きてきました。
父からは虐待を受けて育ちましたが、幼少の頃から父に対して憎しみもなかったし父の人格の良いところと悪いところ両方をきちんと捉えていたように思います。ただ、父の影響は大きいなと思う出来事(特に恋愛面)もあり、気づくことが多々ありましたのでわたしの深層心理への父の影響はかなり根深く大きいな(ラスボス)と思っていました。
母とは仲がいいほうだと思っていましたが介護をする中で母が実は毒親だったことにも気づいていきました。
しかもラスボスは父だと思っていたが実際には母でした(笑)
「父の暴力を誘発していたのは母だった」
母はダメンズ製造機だったのかもしれないと気づくことで、母のことも客観的に見れるようになりました。
見かけでは派手に暴力を振るう父はわかりやすい毒親ですが、もう一方で母は良い人・被害者面をしながら実は地味で静かな毒親だと気づいたのです。そりゃそうですよね、片一方悪いなんてことはありませんから。
では、わたしはAC(アダルトチルドレン)で愛されていなかったから執着して母の介護をし続けているのでしょうか。
考えてみましたが「それは違う」と結論づけました。
親に愛されているかどうかではなく自分で自分を愛しているかどうか
私的には親離れ(精神的自立)ができるかどうかは、親に愛されているかどうかではなく自分で自分を愛しているかどうかです。
親に愛されてなくても自分を愛していたら親離れできますし精神的自立できます。
「親に愛されていたから親離れできる、愛されていないほど親離れできない」という見方が半分正解なのは、本人が癒やされていく途中段階の物事の見方なので否定はしません。ただし、原因を外につくり本質的ではないということです。
親(外側)を基準に物事を考えている時点でまだ親の世界で生きています。自分はまだ親に依存していることに気づいたほうがよく、まだまだ癒せていない自分を自覚して、さらに自由になってほしいなぁと思います。
仲がよいと思っていた、好きだと思っていた母が実は毒親だった
わたしがこのように考える理由を、わたしの体験も含めて書こうと思います。
上記にも書きましたが、5年間介護をしていく中で仲がよい好きだと思っていた母が実は毒親だったことに気がついていったのです。
母は介護をしていてもわたしを介護要員として見ている部分があります。
例えば、わたしが体調崩したとき心配してくれるのは「子どもだから」よりも「介護をしてくれる人がいなくなる」「自分よりも先に居なくなられたら自分が死んでしまうから困る」のほうが強いです。本人はまったく無自覚ですが、実際に言われたこともあります。
だからといって子どもを心配する気持ちもたまに見え隠れするのでまったく無いわけではなさそうです。
人間だからヒャクゼロではありません。
これだけでも実際にやられると自立していない人はショック受けるかもしれません。
「わたしのことそんな風に見ていたのか」と。
他にもこの5年間で「(介護をしない)あんたなんか産まなきゃよかった」「見捨てるのか、人殺し!」などなど、お世話をし続けているにも関わらず散々言われました。認知症状が酷い頃ですが、これは認知症だから言うのではなく脳機能低下で抑制ができないから心の奥底で思っている言葉が外に出てくるのです。
普通の人はショック受けて、介護をきっかけに大喧嘩して疎遠になるなんてことも多いです。
そんな状態でもわたしは介護することを選びましたが、その行動は「親に愛されたいから奉仕をする」のでしょうか。
わたしは母からそんな態度や言葉をいわれても『自分で自分を愛している』から傷つかないしショックも受けないのです。自分のことは自分で愛して承認してるから。
親の正の部分、負の部分、親の人生、どうやって育てられたかなどの背景、きちんと知って「出来る範囲で介護をする」と選択しました。「できることはやるけど、できないことはやらない」その線引きがきちんと出来ています。
精神的自立している人は親から離れることもできるし、その人自身が癒やされていれば時には寄り添うこともできる。そのときそのとき対応を変えられるし自分を中心に決定できます。境界線をきちんと引けるからです。
全人類アダルトチルドレン!?自分がAC(アダルトチルドレン)かどうか気にすることではない
わたしは不思議に思うのです。
多くの人がAC(アダルトチルドレン)であることを気にしていることに。
最初の方にも書きましたが、わたしは客観的事実としてはAC(アダルトチルドレン)の立場ですが、自分はAC(アダルトチルドレン)であることや自分の人生の負の部分を気にしたことがありません。
過去がどうであったとしても、親がどうであったとしても
自分や未来には関係ないからであり、未来は自分で創れるからです。
そして、全人類アダルトチルドレン。
内海式精神構造分析の内海聡さんがよくおっしゃっていますが、わたしもそう思います。
多かれ少なかれ、誰もがアダルトチルドレンです。
『自分で自分を愛する』ことができないから親から得ようとするし、他者から得ようとするし、SNSの数や影響力、金や権力や地位から自分を承認するためのものを得ようとします。
「自分はこれだけできる!」
「自分はこれだけ持っている!」
「自分はこれだけ人気がある!」
「自分はこれだけ稼いでいる!」
「自分はこれだけ意識変容している!」
『自分で自分を愛する』ことができない人ほど、アピールや自分を説得するための材料を集めないとやっていけない。それが無くなったら自分を承認できないから。
日本人のほとんどが自分で自分を愛することができないから現状のようになってます。
親からの承認の有無、SNSのフォロワー数やいいねの有無、他者からの称賛の有無や正負ありきで物事をみて判断してしまう癖。
でもそれが悪いというわけではない。
なぜなら見渡せば笑っちゃうほど誰もが何かの依存症だから。
それが対人関係や食べものや症状や観念にその人の方向性が出ているのです。
AC(アダルトチルドレン)ぽく見えない人だって本人が気づいていないだけでほぼAC(アダルトチルドレン)です。わたしの周りでAC(アダルトチルドレン)ではない人はおりません。
だから、自分はAC(アダルトチルドレン)だからと気にすることはないのです。
それが当たり前の世界なのだから。
みんな同じということにまず気づこうね、ということ。
あの人は出来ていて自分は出来ていないとか、
あの人は愛されていて自分は愛されていないとか、
もうそんなもの考える必要はない。
みんな同じだってことにまずは気づこう。
まずはそこを認めましょうってこと。
その前提が変わると世界が変わってきます。
自分を愛するのはそこが出来てからがスタートです。
もう笑っちゃうほどなんだから、逆に深刻にならずにこの状況を笑っちゃおう(笑)
全人類でみんなでネタにしちゃおう。
そしたらみんな解放されるよ。

いまこそ自分で自分を愛したかったのだと気づくとき
親から愛されているかどうかを気にするのではなく、自分で自分を愛してください。
そして親から愛されたかったのではなく、なにより自分で自分を愛したかったのだと気づくべきです。
きちんと自分を愛せれば、親からされたことなんて関係なくなりますから。
「自分がいるから大丈夫」って思えます。
真の解放は親がいてもいなくてもかまわない、そんな状態です。
側にいてもどんな言葉や態度をされても揺るぎない自分で対応する。
言葉を受け取らない・拒否・決定権を譲らなければいいだけの話ですから。
自分を愛する人が、他者を愛することができる人です。
わたしは自分を愛することができるから母の認知症も改善できるのです。
すべては繋がってます。
ここまでお読みくださった方々へ
ありがとうございました。
