息子の16歳の誕生日。
毎年恒例、明治神宮で健康祈願してきました。何気に16年も通い続けています。
とても空いていて気持ち良かったです♪
神様から大歓迎を受けました(^^)
御朱印もちゃんといただいてきました!
なぜ毎年神社参拝をしているのか?子供いたの?とか知らない方もいらっしゃるかもしれませんので興味ある方は是非プロフィールを読んでみてください。
毎年、息子の誕生日は明治神宮への参拝とブログだけは続けていますが近年のブログに綴った記事を読むと、毎年毎年自己の成長が感じられます。近年のブログはこちら↓
16年経って手放せたものとは?
さて、いま現在、十数年ぶりの引っ越し作業です。
突然引っ越しの話になりますがちゃんと繋がっているので、お時間がある方は最後まで読んでみてください。
家のいらないものを捨てたり、古いものは買い替えたりで家の中の50%は捨て、ほとんどが入れ替わっています。
まだまだ捨てられそうです。こんな大がかりな断捨離は初めてだけど、ものすごい効果を感じています。
今回の引越しでわたし自身ものすごい成長をすると確信しています(正確に言うと成長していた)
昨日、掃除の最中「とあるもの」を見つけました。
大掃除のたびに見つけてはすぐ忘れるのですが、その度に捨てられなかった物です。
なぜ捨てられなかったかというと「怖かったから」です。
その品物とは「子どもの連れ去りに合い、相手方と裁判をしていたときに使っていたノートパソコン」です。
裁判資料の元になるものや、裁判資料には使われなかったもの、全てが保存されているノートパソコンでした。
なぜ持ち続けていたのかと言われたら、もし子どもに万が一出会えたときに「そのままをみて判断してほしかったから」です。
もちろんデータとしても持っているのですが、データとして吸い出すことができなかったものもあったので、その吸い出すことができなかったデータに執着していたのだと思います。
でもね、わたしも素人じゃないので経年劣化したり、バージョンアップしたりで、データを残しておかなければ、いつかは見れなくなります。頭ではわかっていましたが、何故かそのパソコンを手放せずにいました。
顕在意識上では気にしていないし、持っていたことを毎回忘れてしまうくらいです。
でも、見つけたときに捨てることができたはずなのにそれができなかったのは、きっと無意識部分、本当に奥底の小さな小さな叫びで「ちゃんと事実を知ってほしいよ」って思っていたのだと思います。
何かあったときに自分を守るために、そして「相手はこんな人なんだ!」という相手を責める気持ちもあったかもしれません。小さな理由がいくつも重なって、きっと残しておきたかったのでしょう。
今回の引越し作業中にまた見つけて、こんなものもあったとまた思い出して「もう、いいかな。明日全部捨てよう!」と清々しく思えた私がいました。
私にとってはこのノートパソコンが捨てられるってある意味すごいことで、自分でも「そう思えるようになった自分凄すぎ!」と自分褒めしちゃうレベルなんです。
「明日捨てよう!」と思ったときに、明日はお釈迦様の誕生日だと気づきました。
勝手にお釈迦様を師匠と呼んでおりますが(笑)
師匠の愛に感謝の嵐😭←いつもの妄想
「今回はどうしますか?」
そう問いかけられた気がします。
「もうこれいらないな」
そう思えたのは、もうこのパソコンがなくても何があっても自分は大丈夫と思えたからです。
「事実を伝えなくても大丈夫」
「息子が相手に変なことを吹き込まれても大丈夫」
「相手が何かしてきても、大丈夫」
そうなったとき、その時に考えましょう。
何が起きても全て赦せる。
そう思えるから、もう自分を守るものはいらない。
言い訳せず、流れのままに生きていきたいのです。
ちなみに16年ぶりに電源を入れてみましたら、パソコンが立ち上がらないほど壊れてました(笑)
「だよねーーーーー!笑」って笑っちゃいましたw
パソコンも壊れて、データもないのに、ずっと持ち続けていたなんてバカみたいですね(笑)
でも、きっと、私にはこの儀式が必要だったのでしょう。
16年かかって、自分の力で乗り越える必要があったのです。
というか、自分の力というのもちょっと違っていて、今の私になれたのはその後の人生で他者との経験があって、今の自分になれているので、正確に言うのならば、自分と皆さんとの力で乗り越えることが必要だったのです。
今回は色々なものを捨てています。
というか、物に縛られず、良い思い出の品は心の中にあればいいと思い、感謝して品物を捨てる。
苦しかった思い出の品物も全てを許して執着も捨て、感謝して品物を捨てる。
今回はいくつも捨てていますが、新しい自分がまた生まれると思います。
きっと、今よりももっと愛が深い人間になれます。
16年かけて、少しずつ愛が深まっていることを感じられたとても思い出深い断捨離でした。