久しぶりにちゃんとした記事を書きたくなり、朝からウズウズしていました。
というのも、今朝YouTubeの画面を見ていたら今の江原啓之さんの動画がひょっこりと出てきました。
「あら、江原さん観るの久しぶり~」なんて思って再生したのです。
一応今朝みた動画のリンクを貼っておきますね。
本の宣伝動画ですが、かなり良い事話していると思いますので是非観てください。
半年くらい前に江原さんの昔の「オーラの泉」などの動画を観るのにハマっていて、子供の頃はただ観てるだけでしたが、今になって江原さんの言いたいことや大切にしている信念などがわかるようになって、とてもバランスがとれているスピリチュアリストだなぁって思いました。
精神世界と同じくらい肉体の世界も大切にしていらっしゃる。
そういうところの考え方がわたしと同じだなぁ。
霊を視るというお仕事をされているけれども、話している内容は昔からフィジカルな部分も大切にしていて、地に足がついている意見がとても多い。
そして、この動画をみて、ブログを書きたくなったんですね。
実は最近「伝え方」というのがわたしの中でブーム?で、「伝え方」は重要だなと再確認しているところです。
伝える側も方便力を鍛えることが必要
もちろん受け取り方というのも鍛えなければいけませんが、伝え方も鍛えなければいけないなと感じています。
セミナー講師や誰かに何かを伝えるお仕事の人でたまに根底ではできない人、わからない人を見下しているような、世界を分けているなぁと思えるような雰囲気を漂わせている文章を見かけるときがあります。
そういった人の文章が流れてくるたびに、とても内容はいい事言っているのに、
もったいないな~と思うのです。
わたしは受け取る能力が高い方なので「その人が言いたいこと」を受け取ることがうまいです。
だからとてもいい内容だとわかるし、理解できます。
ただ、その人から学びたいなという気がまったく起きません。
それは何故かときかれたら、わたしの言い方で表現するならば「その人が菩薩道を歩んでいるかどうか」「他者の気持ちをわかろうとする共感力の有無」がポイントになります。
わたしの中では
自分だけが悟りや仏になる人が菩薩道を歩んでいない人
自分の悟りを他人の力量に合わせてシェアができる人が菩薩道を歩んでいる人です。
菩薩道については過去記事も書いてありますので是非そちらも読んでみてくださいね。
https://anzaihikaru.com/2018/06/2543/
世の中には受け取ることが上手い人もいれば、もちろん下手な人もいます。
でも文章の雰囲気から「なんでみんなわからないの!」「わかった人にだけ教えてあげるわ」というやや上から目線で他責思考な雰囲気がみられるときには特に残念というか、もったいないなぁと思うのです。
もちろん、わたしも講師をしている身ですから言いたいことはわかります。
極端に世界が違う人には話が通じないところがありますし、それがエネルギーとか、波動とか、そういった見えないものの層みたいなもので分けられてしまうことももちろんあるのですが、相手の力量に合わせて自分から少しでも歩み寄っていけるかどうかは伝える側として必要な能力だとわたしは思っています。
なぜなら、受け取り方が下手な人にも種類があるなぁと感じるからです。
まるっきり世界が違う人にはどう工夫しようが話が通じないこともありますが、ちょっと発想を変えるとか違う方法を提示するだけで一気に話がわかる人もいるからです。
伝える側が工夫しないということは、その受け取り下手の人たちを一括りにし「どうせ伝わらないだろう」という決めつけの気持ちがあるということではないでしょうか。
後者の人たちに対して自分が工夫しなかったばっかりに伝わらなかったということになります。
もったいないと思いませんか?
ちょうど明日のYouTubeのテーマがたまたま「伝え方」についての動画をアップしようと思っていたことと、上記のような人を見る機会が多いこと、そして今朝の江原さんの動画をみて思ったのですね。
動画でもちょっとしたコメントで取り上げることが多いのですが、わたしは「方便」というのが重要だなと思ってます。方便とは「人を真の教えに導くための仮の手段」のことを言います。
江原さんも動画で「おもゆ」「おかゆ」「おこめ」「おこわ」みたいに換えていくとおっしゃっているように赤ちゃんに「おこわ」を食べさせると消化不良をおこします。
人それぞれ受け取るレベルが違うのが当たり前ですから、伝える側はできるだけレベルに合わせて言い方を変えてあげることも必要じゃないだろうか?とわたしは思うのです。
考えてみるとわたしが「この人すごいなぁ」と思う人は、この「方便力」と「待つ力(その人が受け取れるタイミングまで待ってあげる力)」がある人たちばかりです。
江原さんのこの動画でも方便力がある方なのだなと観ただけでわかりますね。
好きな著者さんで本ごとに雰囲気が違うということはあると思いますが、レベルに合わせて方便を変えていてすごい!と思うこともあります。それができるのは、きっと少ないのかもしれません。
わたしはこの「方便力」を鍛えていきたいなぁと常々思いますね。