震災から9年経つのかぁ。
父が亡くなるのは一ヶ月後ですが、震災の2次被害で亡くなったのでこの時期から父のこと思い出します。
震災の年は今思うと個人的にも試練続きの年でした。
そのときは一つ一つ乗り越えるのに必死で気づかなかったけど、振り返るとこれでもかという感じで、1年間はずっと終わってはまた次がやってくる…そんな感じだったなぁ、と。
震災はもちろんのこと、父が孤独死変死体で発見され、遺産相続やら何やらで放置されていた家族関係の見直しの必要性やら、それによるストレスで初めて大病(卵巣嚢腫)を煩い、仕事もセーブしなくちゃいけなくなった。
人生で2番目に大変な時期だった。
今思うと、この時は「自分を犠牲にした優しさは真の優しさではない」それを乗り越える年だったなぁと思います。
その時に一番囚われていたのは
「家族だから仲良くしなければならない」
それを手放したら、病気も自力で治っちゃったし、
新しい展開・新しい道がやってきた。
心の底から「あぁ、もう無理」「相手が変わらないんだから私が頑張っても変わらん」って心の底から思ったんだよね。
わたしは期待してたのよ。
相手はだいぶわたしより年上だし、少しくらい思いやりの心があると信じてた。
でも、無理なもんは無理だよね(笑)
それを悟って、諦めた。
諦めるは「明らかに観る」
今世のわたしの家族には優しい人が母しかおらんって。
そのときに、やっと悟った。
それにね、母が「仲良くなんてしなくていいよ」って実際に声をかけてくれたんだ。わたしが大変そうにしている姿をみて、たぶん言ってくれたの。
わたしは「母が悲しむから自分が頑張らないといけない。キャパがあるほうが我慢しなきゃ」って当時は思い込んでて。
でも、母が「仲良くしなくていい」って言ってくれたとき、わたしは一瞬で解放された。
ちゃんと確認しないわたし、「母のために~」なんて勝手に思い込んでいたわたし、馬鹿だよね~(笑)と思いつつ、そんな自分も好きだったりするが(笑)
「~のために」
これ、本当に相手のためになってるの?
相手が望んでいることなの?
そう考えがちな人は、確認してほしい。
ちゃんと気づいて、自分に問うて欲しい。
意外と相手はそうじゃないから(笑)
なんだか時が経つのが早いような気もするし、遠い昔のような気もするし。
9年で自分はものすごく変わってしまったなぁ。
外からみたらきっと変わっているように見えないだろうけど(体型は確実に変わった、笑)、自分から見たら信じられないほど中身が変わってしまったよ。
何となく、6、7年周期くらいでどデカイ試練がやってくるんだよ。
これからも死ぬまで挑戦して変わり続けたいな。
変わらなくなったら、死んだようなものだから。
自由になっていくよ、わたしは。