今日は息子の誕生日なので恒例の健康祈願で明治神宮に参拝してきました。
今年も晴れてくれてよかった!
わたしは晴れ女なので12年間1度も雨に降られたことがありません(^^)
息子も12歳となりました。
あれから12年も経ったのだなぁと朝から思いを巡らせておりました。
ここからの話がわからない方はプロフィールを確認していただけると少しは話が繋がります
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子供の連れ去りから12年経った今の心境
連れ去り→子の引渡し裁判をしていた頃が人生で一番しんどかったですが、喉元すぎれば何とやら。
熱さを忘れたわけではないですが「今のわたし」になれたのも、この出来事があったから。失ったから今の自分を得ることができたのだなぁと思います。
最初はクリスマスと誕生日カード・息子の誕生日にだけ更新するブログ・明治神宮参拝は欠かさずしていたのですが、2、3年くらい前からクリスマスと誕生日カードはやめてしまいました。
向こうから会いに来た時やわたしが死んだ時に渡して欲しいと友人にお願いしていましたが、素直にお祝いしたいという気持ちの他に「良い母親だと思われたい」というエゴも入っているような気がしたからです。
裁判では相手方には自分の保身と勝利のために散々「いかに悪妻であったか」嘘を並べたてられ主張されたので、相手方の人間としての誠実さのなさに絶望し、どんな風に話を聞かされて育っているかがたぶん怖かったのでしょう。
そうさせてしまったのも、もちろんわたしのせいもあるし、相手を選んだのは自分ですから、そのことについては恨んでもいないし責める気持ちも当初から持っていません。争いが起こるときは喧嘩両成敗だと思っているので。
ただ、相手がそういう相手だったので子供に対して「気にしてたよ」という証拠を残したかった気持ちが少しあったと思います。
でも、自分のエゴを残しても意味はないと気づいてからやめてしまいました。
今でも続いているのは明治神宮参拝と年1ブログですが、そのブログもやめてしまおうかなと考え中です。
元気に生きていればそれでいいよ
今はどんな風に思われてもいいから「わたしが息子の健康祈願したいからする」だけでいいのではないかと思っています。
母や友人から「向こうから会いにくるよ」と言われたりしますが、わたしの中ではどっちでも良くなってます。
昔は機会があれば会いたいなと思った時期もありましたが、もう生きてるだけでいいっていう心境です。元気でいてくれたらそれでいいかなって。
誰でも近くにいると慣れすぎてしまってこの感覚を忘れがちになってしまいますが、隣にいないことでシンプルにこの気持ちだけになりました。
わたしは育てていませんし母親になれなかった母親ですが、子供は背中をみて育つものだと思っているので、見られていなくても親として恥ずかしくない姿で生きていきたいなと思います。…といいつつ、子供にとっては一緒にいない時点でダメな恥ずかしい親かもしれませんが(^_^;)
忙しい現代で12年間、日をずらすことなく、この日だけは必ず空けて、母も一緒に参拝してくれるってすごいことですよね。母にも感謝なのです。
無事に参拝を終えて、御朱印もいただきました(^^)
御朱印をいただく時、前に並んでいた20代女性の御朱印帳を開いているのが見えまして、前のページが昨年の4月6日の明治神宮の御朱印でした。
「この人も4月6日にもらいにきているんだ」
わたしが4月6日に明治神宮で御朱印を頂いているストーリーがあるように、人それぞれのストーリーがあるのでしょうね。
入学式、新学期、たくさんの投稿を拝見しつつ、おめでとう!!の気持ちに溢れた1日でした♪桜も綺麗ですね!
皆さんの投稿からお子様の成長の喜びと「元気に生きていればそれでいい」というメッセージを感じます。
親の気持ちはみんな一緒なんだな(^^)