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ブッダになりたければ、ブッダになればいい

今、ひろさちやさんの空海入門を読んでいます。
アドラーの師匠から「アドラー心理学は真言密教と似ている」と聞いたからです。

真言密教と顕教(真言密教以外の仏教は顕教という)のわかりやすい特色は悟りに至るまでの考え方です。顕教は「仏になるために修行をする」ですが真言密教は「元々わたしたちは仏である」という考え方らしい。「終わり」から出発するのだ。

師匠から「ひかるさんは空海が合うと思うよ」と言われたのだが、まだ読み始めて途中だがその意味がわかった気がした。

「自分は仏陀である」と信じきっていた空海

ひろさちやさんの空海の本を読んだ友人たちから「空海とひかるさんが似てるって思った」と言われ、実際にわたしも本を読んでいると空海と非常に似ているタイプのように思う。

本とは別にひろさちやさんのエッセイか何かで書いていたものが、性格がわかりやすく比較できるので引用したいと思う。

最澄と空海は平安仏教の二大スターである。最澄は比叡山に天台宗を、空海は高野山に真言宗を開いた。天台宗は大乗仏教、真言宗は密教であるが、同じ仏教と言いながらその性格は、キリスト教とイスラム教ほど違っているといってもよいくらいだ。それゆえ、開祖である最澄と空海は、その性格がまるで違っている。最澄は努力型の秀才で、空海は天才肌の人物だ。

最澄と空海の性格の違いは、最澄が「自己否定型」であるのに対して、空海は「自己肯定型」であると言うことができそうだ。

最澄のような努力型の秀才タイプの人間は、自分に対して否定的になる。「いまの自分の実力ではだめだ。もっと努力して実力を高めていかないといけない。」となる。そのため、ちょっとした挫折で絶望して落ち込んでしまう。

対する空海は、天才肌で自己肯定型であり、「自分が自分であっていい」と思い、あまりくよくよと悩まない。

比喩として、ガラスでできた知恵の輪を外すのに、最澄は「知恵の輪の外し方」という本を勉強して外すタイプなのに対して、空海は知恵の輪をじっと眺めて、さっと外した後で、本を読むタイプと例えられよう。

このように評すれば、空海のほうが人物は上のように思えるが、実は空海にも大きな欠点はある。それは、彼のタイプだと他人の指導ができないというところだ。天才肌だから簡単に知恵の輪は外せても、他の人たちに外し方を教えられない。後世の日本仏教の大人物(法然、親鸞、栄西、道元、日蓮)が、すべて最澄の比叡山から出ている。それに対して高野山からはほとんど人材がでていない。教育者としては、最澄に劣るようだ。

ただ、この約半世紀のあいだ、日本という国全体が「自己否定」の哲学でやってきたのではなかったか。高度経済成長というのは、現実を否定して、未来の発展を期待する思想であり、哲学である。だが高度経済成長に立脚する資本主義経済が破綻に瀕している昨今、我々は「全面肯定型」の生き方を学ばねばならない。

共通している部分は、、、

◇完全な自己肯定型
◇体験から入り、後で本を読むタイプ
◇人に指導できない(基本「そのままでいい」と思ってるし、体験してみればわかるじゃんと思っているから)

そして、「自分は仏陀だ」と信じきっていた空海と同じように、小さい頃から「なりたければ、なればいい」が当たり前だった。なんの苦もなく「なっちゃえばいいよね」と思うタイプだ。

お金持ちになりたければ、お金持ちになればいい
人格者になりたければ、人格者になればいい
理想があるなら、理想の自分になればいい

今の職業も小学校5年生の時に「なりたいならなればいい」と思い、実際に3DCGデザイナーになった。ブログの自己紹介にも書いてあるが聡明な女性に「なりたいならなればいい」と思って、日々行動し自分を磨いている。

「~ようになりたい」ではなく、「~になる!」と考えるのだ。

ブッダになりたければ、ブッダになればいい

ブッダになりたければ、ブッダになればいい。
アドラーになりたければ、アドラーになればいい。

実はアドラー心理学にも似たような考え方がある。
アズ・イフ(as if、まるで・・・のようにふるまう)というもの。

https://anzaihikaru.com/2016/10/450/

なりきるということは、とても大切なことなのです。

学ぶは真似ぶ。

ブッダのように振る舞えばブッダに近づくだろうし、アドラーのように振る舞えばアドラーに近づくだろう。行動して近づけていけば、根拠のある自信を自分に与えられるはずだ。

そして、ブッダやアドラーに誰がなれないと言ったのか?
自分の理想とする人物像に誰がなれないと言ったのか?

なれないのは、自分がなれないと思っているからだ。

そこの思い込みや決めつけをしてしまう自分の意識を変えていかないといけないのです。

「自分はブッダだ」と思って振る舞えば、いつの間にかブッダになってしまうかもしれない。
そのほうがワクワクしませんか?

空海が人たらしであったことを思い出し、わたしも人たらしになりたいなと思ったので宣言してみた。もう宣言した時点で人たらしのつもりになっている(笑)

なりたいものに、なっちゃえばいいのだ♪

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