『私がやればいい』を、やめることにした

最近、いくつかのことに対して、同じタイミングで「やめること」に決めました。

ひとつは仕事。

ひとつはボランティア。

そしてもうひとつは、人との関係です。

それぞれがまったく違うところで起こった出来事ですが、

自分の中では、どうやら全部同じところから起きているような気がしています。

最近、わたしの内側で何かが変わってきたのかもしれません。

目次

気づくと、自分がやっていた

わたしは昔から、人が困っていることや、

その場で必要なことに気づくと、自分がやろうとするところがあります。

誰かに頼まれたわけではなくても、

(これ、必要だな)

と気づくと、

「じゃあ、わたしがやります!」

となる。

そして困ったことに(笑)

わりとできてしまうことも多い。

すると、

気づく。
やる。
できる。
任される。

いつの間にか、それが自分の役割になる。

そんなことが何度もありました。

以前から、対人関係ではひとつ決めていたことがあります。

困っている人がいても、

本人から「助けて」と言われない限り、勝手に助けないこと。

これはずいぶん前からできるようになっていました。

でも、もう少しわかりにくい形で残っていたものがあったようです。

それが、

「必要なことに気づいたら、自分がやる」

ということでした。

できることと、やることは違う

動画クリエイターの仕事を今年いっぱいでやめることに決めました。

動画を編集すること自体は、今でも好きです。

もともと依頼されて始めた仕事でしたし、長く続けてきました。

でも、一年くらい前から今の自分とフィットしない感覚があり、やめることを考えていました。

それでも、なかなかやめられなかったのです。

わたしがやめたら困るだろうな、と思ったからです。

でも、できるからといって、

それをずっと自分が担わなければならないわけではない。

そう思って、今年いっぱいで動画の仕事をやめることにしました。

自分から始めたことも、やめていい

ほぼ同じタイミングで、ボランティアもお休みすることにしました。

こちらは仕事とは違って、お金をもらっているわけでもありません。

最初はとても意義のある活動だと思い、楽しんでいましたが

時間が経つにつれ、こちらも今の自分にフィットしない感覚になりました。

ボランティアですから依頼されたわけでもなく、お金もいただいていませんので

辞めやすい状況であると思いますが、それが出来ませんでした。

実際に結果も出ているから。

役に立っているから。

そう思うと、やめるという選択がなかなか出てこなかったのです。

でも、自分から始めたからといって、ずっと続けなければならないわけではありません。

あのときのわたしは「やりたい」と思った。

でも、今のわたしはどうだろう。

一度選んだことを、今も選び続けなければならないわけではない。

そう思って、継続的に参加することをやめました。

人との関係にも、同じことをしていた

そして同じタイミングで

ある人との関係でも、自分がまったく同じことをしていたことに気づきました。

詳しいことはここでは書きませんが、

その人とは長い間、似たような関係を繰り返していました。

わたしはその人にとって、

ある意味で「戻ってこられる場所」になっていたのだと思います。

わたし自身は、それほど困っていませんでした。

わたしにできることなら、それくらいしてもいい。

ずっとそう思っていました。

でも、ふと気づいたのです。

わたしが困っていないから続ける、というだけでいいのだろうか。

その関係が続いていることに、自分自身も参加している。

相手が同じことを繰り返しているのなら、

その関係を成立させている一人は、わたしでもあります。

自分にとっても相手にとっても、『自分を生きる』ことを妨げる関係性なのかもしれない。

だから、その役割を降りることにしました。

これまでと同じ関わり方なら、わたしはもう参加しない。

それでも関わりたいのであれば、これまでとは違う関わり方が必要になる。

そして、どうするかは相手に任せる。

関わるのか。

関わらないのか。

それは、わたしが決めることではありません。

相手の荷物を、相手に返す

仕事も、ボランティアも、対人関係も。

まったく違う話なのに、同じ時期に同じことに気づきました。

わたしはずっと、

「自分ができるなら、自分がやればいい」

と思っていたのかもしれません。

もちろん、それが悪かったとは思っていません。

そのときのわたしは、やりたかったのだと思います。

楽しかったこともたくさんあります。

誰かの役に立てることが嬉しいときもあります。

だから、過去の自分の選択を間違いだったことにする必要もありません。

ただ、今は少し違う。

必要なことに気づくことと、

それを自分が担うことは、

同じではない。

そして、自分が担わないと決めたあと、

その人たちがどうするのかまで、わたしが引き受ける必要もありません。

それぞれの荷物を、それぞれの人に返す。

そんな感覚に近いのかもしれません。

他人への奉仕をやめたいわけではない

だからといって、人のために何かをすることをやめたいわけではありません。

むしろ、わたしは人のために何かをすることが好きなのだと思います。

ただ、ひとつ決めました。

自分のためにならない他人への奉仕は、もうやめる。

そして、

自分のためにもなる他人への奉仕なら、これからもしたい。

ここでいう「自分のため」というのは、損得の話ではありません。

お金になるとか、見返りがあるとか、そういうことでもない。

一緒にいて楽しい。

一緒につくることができる。

心が通じる。

自分自身もそこにいたいと思える。

与えるだけではなく、自分もその関係の中で何かを受け取っている。

そんな人や場所に、自分の時間やエネルギーを使いたいと思うようになりました。

自分と心が通じる人たちを、大切にしたい。

自分だけを、外さない

振り返ってみると、今回わたしが「NO」と言った3つのことは、

どれもまだ続けようと思えば続けられることでした。

できなくなったわけではありません。

必要とされなくなったわけでもありません。

嫌われたわけでもありません。

それでも、

「もう、これはやらない」

と自分で選びました。

以前のわたしなら、もう少し続けていたかもしれません。

そう考えると、最近、自分の内側が少しずつ変わってきているのだと思います。

人のために生きることをやめたいわけではありません。

誰かに何かを与えることも、これからきっとたくさんあると思います。

ただ、その世界の中から、

自分だけを外すのをやめたい。

誰かを大切にするなら、その中に自分も入れておく。

誰かのために時間を使うなら、その時間を使っている自分もそこにいる。

必要なことに気づいても、すぐに自分の仕事にしなくていい。

「わたしは、これをやりたい?」

一度、自分に返してみる。

そして、やりたいならやる。

やりたくないなら、やらない。

それによって誰かがどうするのかは、その人に返す。

最近のわたしは、そんなふうに生きてみたいと思っています。

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