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西遊記の玄奘三蔵のように生きる

久しぶりの文章ブログ!
最近は文章を書くときはエサレンの報告だけになりつつあります(笑)

さて、先日、おなじみの月一エサレンでした~。

今回もかなりスピリチュアルな内容となってしまいますが興味ある人だけ読んでね(^^)

今回の施術はいつもとはまた違う感覚でね。
自分の細胞が興奮しているというか、穏やかではないというか、落ち着かないというか、とにかく集中できなかったです。(まぁ、それを感じ取れるということはある意味集中していたのでしょうが(笑)

気持ちいいんだけどリラックスができないといった感じかな。
いつも見える丹光も見えなかったです。

第3チャクラ(ソーラープレクサスチャクラ・黄色)が弱くなっていたみたいなのでその調整をしていただき、施術終盤には活性化した模様。

今回も印象に残っているのはやはりボディセラピストさんとのシェアで話したことかな。

目次

ある課題をクリアしたら右膝の痛みが消えた

実はね、1、2か月前くらいだったかなぁ。Twitterでは報告していたと思うのですが右ひざの関節の調子が悪く、ひどいときには曲げ伸ばし時必ずカクカク鳴るようになってしまい、とても痛かったのです。

ネットで検索したら症状的には「変形性膝関節症」がビンゴだったので(しかも40代からなる人が多いらしい)このまま酷くなったら大変だわ…と様子をみていました。

コロナの影響で運動も減っていたので運動不足かな?とも思ったのですが、やはり肉体は老化するので「とうとうこういう衰えがやってきたのか」と思っていたのね。

しかーし!実はちょっと前にとある出来事がありまして、その出来事が解決したら膝の痛みがすっかりなくなってしまったの。カクカク関節が外れるような感覚もなくなり、痛みもすっかりなくなってしまって、あの痛みはなんだったのだろう?と不思議に思うくらい。

わたしはいつも心と身体のつながりとか、感覚とか、かなり自分を掘っていったりするのが好きなので、以前読んだ潜在意識の本とエサレンのときに話したことを思い出してね。

それで、もしかしたら今回の身体の痛みは肉体の老化ではなくて、その出来事によって自分の観念(意識)がアップグレードしたので痛みが消えたのでは?と思い始めて(意識や抱えている課題というのは身体(筋肉)に出るのです)その話をボディセラピストさんにお話しました。

今までの話を聞いていると身体の部位に担当する意識(観念)があるみたいだなぁと感じていたので「どういう意識を持っていると右膝の関節に痛みを伴うのか?」などなど、色々教えてもらいました。

この知識はブログには書かずに(ボディセラピストさんが勉強して会得した知識を勝手に流したくないので)自分のサービス・個別カウンセリング時などに活用できたらいいなと思います。

※潜在意識と身体が繋がっていることについては下記の関連記事にも少し書いてあります

西遊記の玄奘三蔵と言われて妙に納得した話(笑)

話の流れでボディセラピストさんが今回の施術中、なぜか西遊記の三蔵法師(夏目雅子)のイメージがずっと出てきて「きっと、こういうエネルギーを持った人なんだろうな~」と思ったそう。

これには自分でも納得でして、まず仏様に縁がある人だなということはわかっているんです。
以前スピリチュアルカウンセラーさんに若い頃から社寺仏閣巡りをしているのも、わたしが結界を守る人だからと言われたことがあり、お寺と神社(陰と陽)のエネルギー交換・循環させて結界の力を強めるお役目がわたしにはあると言われたことがあります。

実は11月もお遍路に行くんだけどね(笑)

あとはね、前回のエサレンでわたしは6次元まで意識の拡張をしていると言われたあと、高次元の知識を得るために勉強し始めたの。シンクロで出会った書籍(きっと高次元の意識でしか読み解くことができない本です)もスラスラ読めてしまって、わたしが今まで生きてきて体験して感じていたことなど、その本にも書いてあって「あぁ、やっぱりそうなんだな」って確認する感じで読んでるんです。

それら振り返ってみて最近自分のことで気がついたこととしては、「わたしは次の7次元まで到達したいな」という気持ちが強いことがわかった。だけど、なかなか到達できなくてもがいてる(笑)

もうとにかく自分をいかに高めていけるかってことが最重要なんだなって再確認したんです。

高次元の世界を仏の世界に当てはめると、わたしはいま「光明界」には意識は到達していて「菩薩界」の切り替わるところで、どうやったら菩薩界にいけるのか奮闘中ということです。(もうドスピな内容ですんません(笑)

それが旅をする三蔵法師と言われれば、イメージぴったりじゃないですか?
経典を求めてひたすら進む僧侶。

と自分では解釈して、勝手に納得しました(笑)

玄奘三蔵のように生きる

さて、西遊記の話ですが帰りの電車の中で去年わたしがFacebookでシェアしたお話を思い出しました。
西遊記は結構深いのです。ブログにも書いて残しておこう。

猪八戒→貪(貪ること)貪りの心、止められない欲望

悟空→瞋(怒り腹を立てること)いかりの心、抑えられない怒り憎しみ

沙悟浄→癡(真理を知らず物事の理非の区別がつかないこと)智慧がないことによって苦しむ心

この3人は三毒の象徴だったんだ。

名前に対処法があり。


貪ること→八戒。戒律を守ることで欲望をコントロールできるようになる

怒り腹をたてること→空を悟ること。怒りの対象に実体がないこと(空であること)を悟ることで、いかりを鎮めることができる

癡→浄らかな心(慈悲心)をともなうことで知識が智慧に昇華する。


振り返って考えるとキャラクターごとにちゃんとその役割があったことに気づく。

西遊記、深かった。
今の自分に繋がっていることに気づく。


ちなみに初めて買ったレコードがゴダイゴのモンキーマジックでした。
ガンダーラも今聴いてもいい曲だなと思うけど、今聴いて違うなとわかったのはガンダーラは遠くにはなく、今の自分の世界であるということ。自分がガンダーラだと思えばガンダーラってことかな。

去年Facebookで呟いた投稿(自分のメモ用)ですが、今見ると三蔵法師には触れていません。

今回三蔵法師のことを考えていたので「この三毒と共に歩んでいく三蔵法師。三毒は消えるものではなく、悟り(経典)を求めて一緒に歩んでいくもの。その姿が本物の僧侶であり菩薩である」とふっと浮かんできました。

それは三毒を抱えた他人に対してだけではなく、きっと玄奘三蔵も抱えていたものだと思う。
きっと複数の見方があるんじゃないのかなと思った。

ある意味、悟空や猪八戒や沙悟浄は妖怪(モンスター)なわけですから、お釈迦様をそそのかす悪魔マーラと同じ存在と言えるでしょう。

玄奘三蔵の姿はカウンセラーや寄り添う人、導く人だったり、それらも当てはまりますね。

ということで、文章が長くなるので今回はこの辺で(^^)
来月のお遍路、楽しんできます☆

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